中国絵画の受容
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中国では、絵画に対する独自の考え方があった。晩唐(9世紀)の張彦遠(ちょうげんえん)の『歴代名画記』は、中国絵画史の古典であるが、この本の巻一「論画六法」(「画の六法を論じる」)において、張はこう述べている。「古より画を善くする者、衣冠貴冑、逸士高人にあらざるはなし。(中略)閭閻鄙賤のよくなす所にあらざるなり」。つまり、「絵画とは、生まれ育ちがよく、人格高潔な君子のたしなむものであって、身分のいやしい者には優れた絵は描けない」ということである。このように、絵画には、それを描く人の人品が反映するという伝統的な考え方があった。また、同書巻一で張彦遠は、言葉を表現材とする「記伝」や「賦頌」には絵画とは異なり「容」「象」などといった「形」を表現する機能が欠けているとの認識を語り、陸機の「物を宣ぶるに言よりも大なるは莫く、形を存するに画よりも善きは莫し」と言と画との異なる点を指摘した文を引用している。これらの言葉に象徴されるように、古く中国では絵画は基本的に「形」「象」「容」といった客観世界の事物の形象、映像を描写再現する「存形」の芸術であるとみなされていたようである。中国には「詩画一如」「書画同源」という伝統的な考え方がある。すなわち、「詩」と「絵画」とは切り離せない密接なものであり、「書」(書法)と「絵画」とは本来同じ根から発しているという考えである。中国において詩と絵画を比較して両者の間に類縁性、同質性を認めるこのような考え方が確立し広く浸透するのは宋代であるが、宋代以前にも詩と絵画を比較しつつ両者の同質性を指摘する文も少なからず存在した。ただし、「絵画」「書道」「文学」という、本来異なる芸術を同一ジャンルに属するもののようにみなす伝統的絵画観に対しては批判的意見もある。鈴木敬(日本人の中国絵画研究者)は、こうした伝統的絵画観には「絵画の理解と分析を永く誤らせた」負の部分があり、それが「(中国の)絵画史を近代の学から離反させた遠因ともなっている」と述べている。 中国絵画は周辺国の文化にも強い影響を与えてきた。中でも日本では、為政者、僧侶、文人、茶人らによって中国絵画が愛好され、多くの中国絵画が輸入されてきた。しかしながら、古い時代に日本に輸入され愛好されてきた中国絵画は必ずしも絵画史の本流の作品ではなく、特定の地域や作風のものに偏っており、このことが日本における中国絵画受容のあり方を特異なものにした。日本で「唐絵」として珍重された宋・元時代の中国絵画の中には、中国の画史には名前さえ出てこない無名の地方画家の作品や、禅僧の余技画などが多数含まれている。前出の鈴木敬は「日本に伝存した〔中国画の〕遺品の種類が極度に偏っていること、日本人のみが中国画を理解できる唯一の外国人であるという自負が、日本人による研究を狭小なものにし、視野狭窄に陥れた」と指摘している。 第二次大戦後は、欧米においても中国絵画の研究が盛んになり、中国、日本、欧米の研究者らによる国際的な研究が進みつつある。スウェーデンの中国美術研究者・オズワルド・シレン(英語版)は、1956年に大著 Chinese Painting を出版している。これを嚆矢として、アメリカのシャーマン・E・リー(英語版)やジェームズ・ケーヒル(英語版)らが中国絵画研究に大きな業績を残した。アメリカにはいくつかの大規模な中国絵画コレクションがあり、中でもクリーヴランド美術館にある前出のシャーマン・E・リーのコレクションと、カンザスシティのネルソン・アトキンス美術館にあるローレンス・シックマン(1907 - 1988年)のコレクションが名高い。
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