中国統治下のガンデン寺における代表者
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「ガンデン・ティパ」の記事における「中国統治下のガンデン寺における代表者」の解説
「宗教は迷信」というマルクス主義を厳格に信奉していた建国当初の中国共産党政権は、仏教の教義を背景にもつ「化身ラマ」の認定や、座主(ティパ)、学堂長(ケンポ)など宗教上の資格に裏打ちされた寺院組織のポストの任免に直接には関わらずに、寺院ごとに民主管理委員会を組織させ、各寺の有力ポストにある者たちをこの委員会の「委員」に据える、という形式で宗教行政を行った。 ガンデン寺では、チベット動乱により、1959年に寺院組織と所属の僧侶多数が亡命したのち、チベットに残留した所属僧侶の有力者ポミ・チャンパ・ルンドゥプ・リンポチェが1960年に「ガンデン寺民主管理委員会主任」の任命をうけた。 その数年後に始まった文革中、ガンデン寺は僧院としての活動を全く停止していたが、1980年代、中国政府による宗教活動に対する抑圧が緩和されたのにともない、ポミ・チャンパ・ルンドゥプ・リンポチェをはじめとするチベットに残留した所属の僧侶たちによって活動が再開された。 ポミ・チャンパ・ルンドゥプ・リンポチェは1988年、中国統治下のチベットにとどまった僧侶たちからガンデン・ティパ代理に選出されたが、中国政府はこの称号を公式には認めなかった。ポミ・リンポチェは引き続き「ガンデン寺民主管理委員会主任」その他の肩書きのもと活動を続け、1995年には中国側が独自にパンチェン・ラマ11世を選出した際の金瓶掣籤の儀式にかかわった。2002年11月20日遷化。 ガンデン寺民主管理委員会主任 代数名前生没年在任期間チベット語表記(Wylie式)称号備考 - チャンパルンドゥプ 1917–2002 1960–2002 – – – ガンデン・ティパ代理 代数名前生没年在任期間チベット語表記(Wylie式)称号備考 - チャンパルンドゥプ 1917–2002 1988–? – – –
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