中国絵画史の概観とは? わかりやすく解説

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中国絵画史の概観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)

中国の絵画」の記事における「中国絵画史の概観」の解説

絵画の歴史は、文明の発生とともに世界各地自然発生的に始まった中国において新石器時代には彩文土器呼ばれる幾何学文、人物文、動物文などの絵画表した土器製作されている。また、岩画」と呼ばれる、自然の岩壁描かれ絵画もあるが、これらは原始美術段階とどまっており、後の中国絵画直接つながるものではない。殷・周春秋・戦国時代には、青銅器銅鏡などの文様絵画的表現みられる器物装飾墓室荘厳離れて独立した絵画作品つくられるうになるのは秦・漢時代からである。ただし、漢時代絵画として現存するものは、墳墓出土帛画絹絵)や画像石などに限られている。画史には漢時代画家の名前も記録されているが、これらの画家作品残っていない。南北朝時代に入ると、東晋4世紀)の画家顧愷之こがいし)の伝承作はいくつ残っており、その画風をしのぶことができるが、現存する顧愷之画はオリジナルではなく後世模本である。以後、唐時代までの鑑賞絵画現存作品はほとんどが模本であり、オリジナル絵画敦煌どの辺境の地に残され石窟寺院壁画や、地下保存されてきた墓室壁画といったものに限定されている。中国の絵画はその多くが絹や紙のような脆弱な素材描かれている。加えて度重なる王朝交替やそれに伴う戦乱によって、古画多く失われた。画巻などの鑑賞用の小画面絵画の他に、宮廷殿舎仏教寺院壁画のような画面絵画多数存在したが、これらは建物運命を共にし、古いものは残っていない。 中国絵画史を大観的に見れば中唐8世紀)までは人物画着色画が主体であり、山水画水墨画主要なジャンルになっていくのはそれ以降のことである。水墨による山水画文人儒教的教養道徳とを身に付けた、知識階層人々)によって愛好された。こうした文人によって制作され享受され絵画文人画という。文人画北宋時代11世紀頃からジャンルとして確立し、元時代には画壇主流となった。明時代末の董其昌とうきしょう)は、唐時代以来山水画歴史を、北宗画職業画家系)と南宗画文人画系)という2つ流れ分類したうえで、南宗画すなわち文人画優れたものであり、北宗画すなわち職業画家山水画は学ぶ価値のないものだとした。画家書家であるとともに高級官僚でもあった董其昌理論影響力大きく文人画優位に置き、古画学習重んじる風潮次の時代にも続いた一方で、清時代はそうした粉本主義反発し、独自の個性的な画風追求した画家たち多数存在した

※この「中国絵画史の概観」の解説は、「中国の絵画」の解説の一部です。
「中国絵画史の概観」を含む「中国の絵画」の記事については、「中国の絵画」の概要を参照ください。

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