世界の一体化前史としてのモンゴル帝国とは? わかりやすく解説

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世界の一体化前史としてのモンゴル帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 07:54 UTC 版)

世界の一体化」の記事における「世界の一体化前史としてのモンゴル帝国」の解説

世界史A」新学指導要領では、前近代を「諸地域世界交流圏」として扱うこととするのは、上述のとおりであるが、そのなかで諸地域相互交流促進し世界の一体化につながるような交流圏成立寄与したのがモンゴル帝国であった。 すなわち、13世紀ユーラシア大陸ではモンゴル人が、東アジアから東ヨーロッパイスラーム世界を覆う空前大帝国建設し、それにより各地勢力交替起こったのであるモンゴルによる征服人びと恐怖記憶刻んだが、その一方でタタールの平和(パクス・タタリカ)」という言葉表現されるように、モンゴル人によってユーラシア北アフリカ諸地域政治的経済的にたがいに結びつけられ国際色豊かな統治体制とそれに支えられ遠隔地商業など東西交流が、その宗教的寛容相まって空前繁栄ぶりを呈した情報技術整備され交鈔という紙幣つくられジャムチ駅伝制)が各地結んだ杉山正明岡田英弘らを主とする中央ユーラシア史の研究者からは、この1314世紀の大モンゴル時代世界史におけるひとつの分水嶺ととらえ、「近代」につながる諸要素指摘する声があがっている。杉山らは、モンゴル帝国陸上だけでなく海上ルートシステム化をも推進した結果以後陸上国家単なる陸上国家ではなくなったのであり、16世紀隆盛ほこったロシア帝国オスマン帝国ムガル帝国明朝などの大規模国家ユーラシア近世帝国)はモンゴル帝国およびその地方政権後継国家としての性格有しいわゆる大航海時代モンゴル時代前提にしなければ理解しにくいと指摘しており、比較文明史世界システム論者もこの観点着目した所論展開している。また、モンゴル世界史果たした役割重視する知識人少なくない1314世紀ヨーロッパでは、西欧世界十字軍東方植民イベリア半島でのレコンキスタなどによる膨張運動展開され、これらはいずれイスラーム世界対すモンゴル衝撃と深いかかわり有していた。そして、そのなかで特に地中海沿岸バルト海沿岸、および両者をつなぐ内陸部顕著な都市発達がみられ、王権伸張という新し歴史動き生んでいた。 そしてまた、ポストモンゴル時代遊牧民は、近世以後も諸帝国むすびつける役割果たした杉山は、「ポスト・モンゴル時代」のティムール帝国はじめ一連のモンゴル国家、明代モンゴルから「最後遊牧王国ドゥッラーニー朝アフガニスタン)までの流れを清、オスマンムガルとともに第五の波」と称している。 モンゴルによって生じたグローバリゼーションは、16世紀以降世界の一体化深く呼応していた。大航海時代における海洋時代をむかえるまで、ユーラシア内陸部では馬が一種の船の役割果たし古代から中世にかけて歴史的に形成されてきた諸世界を結びつけたのである

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