世界の一体化前史としてのモンゴル帝国
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「世界の一体化」の記事における「世界の一体化前史としてのモンゴル帝国」の解説
「世界史A」新学習指導要領では、前近代を「諸地域世界と交流圏」として扱うこととするのは、上述のとおりであるが、そのなかで諸地域相互の交流を促進し、世界の一体化につながるような交流圏の成立に寄与したのがモンゴル帝国であった。 すなわち、13世紀、ユーラシア大陸ではモンゴル人が、東アジアから東ヨーロッパ、イスラーム世界を覆う空前の大帝国を建設し、それにより各地で勢力の交替が起こったのである。モンゴルによる征服は人びとに恐怖の記憶を刻んだが、その一方で「タタールの平和(パクス・タタリカ)」という言葉に表現されるように、モンゴル人によってユーラシアと北アフリカの諸地域が政治的、経済的にたがいに結びつけられ、国際色豊かな統治体制とそれに支えられた遠隔地商業など東西交流が、その宗教的寛容も相まって空前の繁栄ぶりを呈した。情報技術が整備され、交鈔という紙幣がつくられ、ジャムチ(駅伝制)が各地を結んだ。 杉山正明、岡田英弘らを主とする中央ユーラシア史の研究者からは、この13、14世紀の大モンゴル時代を世界史におけるひとつの分水嶺ととらえ、「近代」につながる諸要素を指摘する声があがっている。杉山らは、モンゴル帝国が陸上だけでなく海上ルートのシステム化をも推進した結果、以後の陸上国家は単なる陸上国家ではなくなったのであり、16世紀に隆盛をほこったロシア帝国、オスマン帝国、ムガル帝国、明朝などの大規模国家(ユーラシア近世帝国)はモンゴル帝国およびその地方政権の後継国家としての性格を有し、いわゆる大航海時代もモンゴル時代を前提にしなければ理解しにくいと指摘しており、比較文明史や世界システムの論者もこの観点に着目した所論を展開している。また、モンゴルが世界史に果たした役割を重視する知識人も少なくない。 13、14世紀のヨーロッパでは、西欧世界が十字軍や東方植民、イベリア半島でのレコンキスタなどによる膨張運動が展開され、これらはいずれもイスラーム世界に対するモンゴルの衝撃と深いかかわりを有していた。そして、そのなかで特に地中海沿岸やバルト海沿岸、および両者をつなぐ内陸部に顕著な都市の発達がみられ、王権の伸張という新しい歴史の動きを生んでいた。 そしてまた、ポストモンゴル時代の遊牧民は、近世以後も諸帝国をむすびつける役割を果たした。杉山は、「ポスト・モンゴル時代」のティムール帝国はじめ一連のモンゴル国家、明代モンゴルから「最後の遊牧王国」ドゥッラーニー朝(アフガニスタン)までの流れを清、オスマン、ムガルとともに「第五の波」と称している。 モンゴルによって生じたグローバリゼーションの芽は、16世紀以降の世界の一体化と深く呼応していた。大航海時代における海洋の時代をむかえるまで、ユーラシア内陸部では馬が一種の船の役割を果たし、古代から中世にかけて歴史的に形成されてきた諸世界を結びつけたのである。
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