上つけ練炭コンロの発明
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1954年(昭和29年)9月、練炭を上面から燃やして行く「上つけコンロ」が品川燃料株式会社で開発され販売開始された。これにより練炭燃焼時に発生する一酸化炭素を、練炭上面と燃焼盤(上つけカバー)の間の二次燃焼空間で、二次空気孔からの新鮮な空気を送り込みながら再燃焼させることにより、従来摂氏650〜660度程度であった練炭コンロでの燃焼温度を、1060〜1100度にまで向上させ、またコンロから外部への一酸化炭素の発生量も減少させた。 1957年(昭和32年)10月、練炭での功績により、小野澤辰五郎へ紫綬褒章が授与される。 1950年代後半(昭和30年代前半)炊きあがりをブザー音で知らせる「練炭炊飯器」が発売される。 1959年(昭和34年)9月、豆炭式の「品川あんか」発売開始。 1960年(昭和35年)中国大連から朝鮮民主主義人民共和国産の無煙炭3,000tが日本へ戦後初輸入される。 1960年(昭和35年)6月、株式会社十全商会が「十全あんか」開発。発売開始。 1961年(昭和36年)6月、三鱗無煙炭株式会社が、東京煉炭、横浜煉炭、栃木三鱗、永沼燃料、湘南燃料を合併、社名を「株式会社ミツウロコ」とする。 1961年(昭和36年)12月、「品川マメタンこたつ」「品川足温器」が発表される。 1962年(昭和37年)練炭の製造流通が最盛期を迎える。 1963年(昭和38年)豆炭式の「ミスジホームコタツ」の生産販売開始。 1964年(昭和39年)6月、十全「ホームこたつ」開発、発売開始。 1966年(昭和41年)4月、練炭・豆炭製造業の近代化促進を行うため、「中小企業近代化促進法」に基づき練炭・豆炭製造業の近代化について政令指定を行い、翌42年度から近代化事業が開始され、昭和47年度まで実施された。同年7月、信濃三鱗株式会社が社名をサンリン株式会社に変更。 1968年(昭和43年)1月、練炭上面に着火剤を塗布した「品川いっぱつ煉炭」が発売開始された(同年12月「品川いっぱつ豆炭」発売開始)。同年、株式会社ミスジ「チャッカー豆炭」(マッチ豆炭)の製造・販売開始。 1970年(昭和45年)国内の練炭製造を長らく支えた宇部興産の山陽無煙炭が閉山して国内の無煙炭は大口商用ベースでは皆無になったことを受け、日本練炭工業会加盟会社は共同で友好商社を立ち上げ、当時の北ベトナムからトンあたり1万円、総計70億円の700,000t輸入の最初の契約を行った。以降、無煙炭はベトナムや中国からの輸入が深い関わりを持っている。 1976年(昭和51年)株式会社ミスジ煉炭販売開始。
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