レコーディングと作曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 23:06 UTC 版)
「MUSIC (マドンナの曲)」の記事における「レコーディングと作曲」の解説
「ミュージック」のレコーディング・セッションは、1999年9月にロンドン西部のサームウェストスタジオで始まった 。エネルギッシュなマドンナは、タイトルトラックはパーティー・ソングかつ題材は愛にしたいと考えた。マドンナはアフマザイと一緒に、歌詞とギターのコードを拾いながら曲のその他の部分を書き始めた 。「パラダイス (ノット・フォー・ミー)」の曲が完成した後、彼らはエレクトロファンクを「ミュージック」のトラックに試し、主要なベースを作成した。「実験的ではないよ」とミルウェイズは回想する。「しかし、それは容易な事でもなかった。これはアンダーグラウンドミュージックにとっての小さな勝利だったんだ。」 。マドンナによると、ミルウェイズと一緒に「ミュージック」を書き、プロデュースすることで、アルバム全体の残りの部分のトーンが決まったという 。しかし、彼は英語が苦手だったため、彼らはコミュニケーションの問題に直面した。 「私たちが録音していた最初の数日、私は自分の髪を引き裂きたいと思った」とマドンナは回想した。そして彼女は彼のマネージャーに通訳として介入するように頼んだ。 「ミュージック」は、マドンナの加工された声が「ねぇDJ、レコードをかけて、私のベイビーと一緒に踊りたいの」というセリフを発するところから始まる 。その歌詞の後、彼女の電子的に加工された声が「あなたはブギウギが好きですか?」と尋ねる。プロデューサーはボーカルの加工の為にEMS2000ボコーダーを使用した、雑誌『キーボード」のアーニー・ライドアウトは「それは始まりによく合っている」とした 。Mark "Spike" Stentは、 Sony 3348HRとBASF931テープを使用して、 SSL9000Jコンソールで曲を録音した。彼はロンドンのオリンピック・スタジオでSSLGシリーズQuantegy磁気テープを使用してそれでミックスを行った。ティム・ヤングはロンドンのチズウィックにあるメトロポリス・スタジオでトラックをマスタリングした 。Rikky Rooksbyによると、プロダクション全体はドライサウンドで最初のコーラスに入るまでボーカルにコントラストを生み出している。ギターのフリックは、ブリッジのキーボードコードで聞くことができる 。ヘッドフォンで聞くと、音は右から左に、またはその逆に移動する。2001年のドラウンド・ワールドを手がけたミュージシャンのStuart Priceは、「ミュージック」のリズミカルな構造は、クラフトワークの1977年のシングル「Trans- Europe Express」からインスパイアされたとした 。 「ミュージック」は一般的拍子記号を持っており、その構成は毎分120ビートの適度なテンポのト短調の静的キーに基づいている。マドンナのボーカルは、G ♭ 3からD 5の2行の音までの範囲で、コード進行としてGm–F–Gm–Fの基本シーケンスがある 。Santiago Fouz-HernándezとFreya Jarman-Ivensが書いた本「Madonna's Drowned Worlds」によると、「ミュージック」は「ディスコ・アンセムであり、そのビートは人々に立ち上がって踊るように命じているようだ」と書いている 。著者は曲が歌の中心的な位置にあり、リバースしたシンバル・クレッシェンドからは「エレクトロニカのしぶきとプロダクションのトリック」、およびハモンドオルガンからは「厳密に量子化された」ピッチとサウンドがあると述べた。Fouz-Hernándezはマドンナが歌う際に口元をレコーディングマイクにかなり近づけて歌っている事に気づき、それが曲にナチュラルなサウンドをもたらしてる事に気付いた 。ビルボードのバリー・ウォルターズは、この曲にフランスのエレクトロニカと1970年代のエレクトロファンクの要素がある事を発見した 。同じくRichard S. Heは、このレコードを「ポストモダン、ダンスポップの逃亡者」と表現した 。楽曲のインストゥルメンタル・リフは、1970年代のアナログモーグシンセサイザーによって作成され、最終的に曲のフェードアウトを誘導している。Jarman Ivensは「ミュージック」のプロダクションはディスコとファンクにだけ関連したものでないが、自然に俗っぽさが出てるとした 。 歌詞の内容は、音楽の団結力について繰り返しており 、サビの歌詞ではマドンナがブルジョアジーを切り捨てたことで、政治的な意味合いを持っていると見なされた 。Fouz-Hernándezは、「私のベイビーと踊りたい」というセリフは、そのカジュアルな俗っぽさからゲイのリスナーとのつながりを強化するとしている。彼はこの楽曲をマドンナの最初のシングル「エヴリバディ」(1982)と比較した。どちらの曲でも、音楽には「人種、性別、セクシュアリティの分裂を克服する力がある」と彼女はメッセージを込めている。また、マドンナがニューヨークで一人暮らしをして、ニューヨークのナイトクラブシーンで目立っていた時を思い起こすかのようだとした ビルボードによると、マドンナのボーカルは、トラック内で「ハイパーアクティブなビート、グルーブ、そして刺すようなパーカッシブな要素を結びつけている」として、更にこの曲はキャメオ、ハービー・ハンコック、ニッツァー・エブ、ロジャー・トラウトマンからの影響が染み込んでいると付け加えた。
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