ルポライターとして
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東京大学休校中に、文春時代の仲間の誘いで文筆活動に入りルポライターとして活動を開始する。創刊時の雑誌『諸君!』に「生物学革命」「宇宙船地球号」や石油などをテーマとしてノンフィクションや評論を書く。1968年、「立花隆」のペンネームで文藝春秋増刊号「素手でのし上がった男たち」を発表。『諸君!』の初代編集長田中健五(後の『文藝春秋』編集長)との交友が後の「角栄研究」に繋がる。1969年、『文藝春秋』や『週刊文春』に「60年安保英雄の栄光と悲惨」「東大ゲバルト壁語録」「この果てしなき断絶」「実像・山本義隆と秋田明大」などを発表。1970年、東大紛争中の学費支払いを巡り大学事務と衝突。東大哲学科を中退した。 デビュー作『思考の技術』で、「人間は進歩という概念を盲目的に信じすぎている」として、生態学に学ぶ思考法を披露。現実の自然は常に具体的で、無限に複雑かつ多様で、そこには測定不能のもの、つまり数量化できない要素が満ち満ちている。現実はムダとムラに満ち満ちているが、これに対して、人間の作ったものは、ムラなくムダなく、実にスッキリと、合理的にできている。さながら、自然の作るものより、人間の作ったものの方が、はるかに上等なものであるかのように見えるが、これは人間の価値観の狂いにほかならない。理論は常に純粋なものを扱うが、技術はものを現実に操作する必要上、かなり純度の低いものまで扱う。ここで現われてくるギャップが、いわゆる理論と実践のギャップであり、技術の面では、公害などの問題として現れる。自然界には、生物個体にも、生物群集にも、さらには生態系全体にも、目に見えないホメオスタシス維持機構が働いている。文明にいちばん欠けているのはこの点で、進歩という概念を、盲目的に信仰してきたがゆえに生まれた欠陥である、とする基本的な考えを発表している。 数名の友人と資金を出し合い、新宿ゴールデン街にバー「ガルガンチュア立花」をオープンさせた。このバーでは経営だけでなくバーテンダーとしてカウンターにも立ち、報道・出版業界の知り合いが客として訪れるようになり「それなりに儲かった」 という。編集者の川鍋孝文や映像作家のブリス・ペドロレッティらも客として通っていた。のちにペドロレッティが新宿ゴールデン街をテーマにしたOV『フェスク・ヴドラ』を撮った際には、バーの店主として出演している。バーを経営していたのは1971年前後だが、店自体は現在も残っている。 1972年、講談社の川鍋孝文(のちの『週刊現代』編集長)の紹介でイスラエル政府の招待を受けて同国に2週間滞在。招待期間終了後は自費で中東各地、地中海・エーゲ海沿岸を中心としたヨーロッパ諸国を放浪する。放浪期間中に偶然テルアビブ事件が発生。東大紛争以後中断していたジャーナリスト活動を現地で再開した。
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