ランブイエ侯爵夫人邸について
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「ランブイエ侯爵夫人カトリーヌ・ド・ヴィヴォンヌ」の記事における「ランブイエ侯爵夫人邸について」の解説
図面が現存していないため不明な点も多く、これまで様々な人物によって復元の試みが行われてきたが、全貌の解明には至っていない。歴史家アンリ・ソーヴァルが1724年に著した「パリの古美術品の研究史( Histoire Et Recherches Des Antiquites de La Ville de Paris )」によれば、敷地は税金支払い義務のある特別な地区にあった。サン・トマ・デュ・ルーヴル通りに面し、盲人施設のキャーンズヴァン病院の庭園と隣接していたという。元々この邸宅は、由緒ある貴族所有の建物であったが、13~4世紀に建造されたため、かなり古く、17世紀の建築法則からすれば時代遅れであった。夫人の父親であるピザニ侯爵が1606年に取得したのち、1611年にランブイエ侯爵夫妻が相続した。 自邸の改築を行った際には、自ら設計した。タルマン・デ・レオーによれば、中央の大階段を挟んで、片側に広間、もう片側に部屋という不規則で狭い住居構造であったが、敷地を有効に使うために、階段を建物の端に設置し、廊下なしですぐ部屋にはいれるようになり、床は高く、窓と扉も広く高くなったとのことである。階段を建物の端に設置するというのは、当時かなり斬新なアイデアで、マリー・ド・メディシスがリュクサンブール宮殿を建築する際には参考にしたという。 サロンで中心的な存在であったヴォワチュールの夫人あての手紙には次のような一節が見られる: …注意深くヴァレンティーノ宮殿を見て参りました。奥様に、可能な限り手短にその様子をお知らせ致します。(中略)ヴァレンティーノ宮殿に近づいていきますと、最初に見えて参りますのは、なんと申しましょうか、最初に見えたものが何だか分かったなら、死んでも良い気分です。多分ペロン(péron、階段)だと思います。いやいやポルチコ(Portico、柱廊)ではと思います。いいえ、やはりペロンでした。正直に言って、ペロンとポルチコの区別がつきません。ほんの1時間前にはそれらをすべて把握していたのですが、記憶力が欠けているのです… - ヴァンサン・ヴォワチュール,1638年10月7日付,ジェノバから 1638年9月にルイ14世が誕生し、それをフィレンツェへ伝えるフランス国王の使臣としてヴォワチュールが選ばれたため、当時パリを離れていた。ランブイエ侯爵夫人に宮殿の様子を仔細に伝えるように言われたのでその道中で認められた手紙であり、この一節は明らかに夫人邸を念頭に置いている。無理難題に苦慮しながらも、夫人邸と同じように斬新な設計であったことをほのめかしているわけである。ちなみにこの旅でヴォワチュールはタルマン・デ・レオーと出会い、彼をサロンに紹介した。上述の手紙はタルマン・デ・レオーによって伝えられているものである。 邸宅の寝室には、当時用いられていた赤と金色ではなく、青色を用いていた。こちらも斬新で、この部屋は「青い部屋(Chambre Bleu)」として有名となった。ソーヴァルの書物においては、邸宅の事例として最初に夫人邸が紹介され、「最も素晴らしい邸宅」とされている。その庭園は「多くの不思議が語られる名高い名園」とされており、夫人の私室から見えていたテュイルリー宮殿の庭園を参考に作られたという。中央には噴水があり、必死で水源を確保しようとしたことが手紙の存在から明らかとなっているが、ちょろちょろ水が流れ出る程度にしか出なかったようである。窓にはフレンチウィンドウを採用した。フレンチウィンドウは夫人が考案したともいわれるが、単に都会では防犯上の理由から用いられていなかっただけであり、郊外で目にしたものをヒントに、採用しただけであると考えられる。 改築工事は以下のような経緯をたどった:1614年、キャーンズヴァン病院の墓地に面して、窓を4つ作る権利を取得1615年、パリ市民のうち200人だけに許されていたテュイルリー宮殿への水道管に配管する特権を取得1618年、着工1619年、建設中の暖炉を支えるため、墓地の中に1本の支柱を設置する権利を取得1620年、完成 工事管理はマルク・ピオシュ(Marc Pioche)が担当した。ピオシュはラファイエット夫人の父親で、後にラファイエット夫人はサロンの常連となった。夫人の設計の随所に見られる工夫は、後々になって建設された様々な邸宅にも見られるものであり、インテリアの発展につながった。ソーヴァルは「建築家に楽しみと心地よさと、完全な美を教えた」としている。
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