ランブイエ侯爵夫人邸についてとは? わかりやすく解説

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ランブイエ侯爵夫人邸について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/11 00:32 UTC 版)

ランブイエ侯爵夫人カトリーヌ・ド・ヴィヴォンヌ」の記事における「ランブイエ侯爵夫人邸について」の解説

図面現存していないため不明な点も多くこれまで様々な人物によって復元の試みが行われてきたが、全貌解明には至っていない。歴史家アンリ・ソーヴァルが1724年著したパリ古美術品の研究史( Histoire Et Recherches Des Antiquites de La Ville de Paris )」によれば敷地税金支払い義務のある特別な地区にあった。サン・トマ・デュ・ルーヴル通り面し盲人施設のキャーンズヴァン病院庭園隣接していたという。元々この邸宅は、由緒ある貴族所有建物であったが、134世紀建造されたため、かなり古く17世紀建築法からすれば時代遅れであった夫人父親であるピザニ侯爵1606年取得したのち、1611年ランブイエ侯爵夫妻相続した自邸改築行った際には、自ら設計した。タルマン・デ・レオーによれば中央の大階段挟んで片側広間、もう片側部屋という不規則で狭い住居構造であったが、敷地有効に使うために、階段建物の端に設置し廊下なしですぐ部屋にはいれるようになり、床は高く、窓と扉も広く高くなったとのことである。階段建物の端に設置するというのは、当時かなり斬新なアイデアで、マリー・ド・メディシスリュクサンブール宮殿建築する際には参考にしたという。 サロン中心的な存在であったヴォワチュールの夫人あての手紙には次のような一節見られる: …注意深くヴァレンティーノ宮殿見て参りました奥様に、可能な限り手短にその様子をお知らせ致します。(中略)ヴァレンティーノ宮殿に近づいていきますと、最初に見えて参りますのは、なんと申しましょうか最初に見えたものが何だ分かったなら、死んで良い気分です。多分ペロン(péron階段)だと思いますいやいやポルチコ(Portico柱廊)ではと思います。いいえ、やはりペロンでした。正直に言ってペロンポルチコ区別がつきません。ほんの1時間前にはそれらをすべて把握していたのですが、記憶力欠けているのです… - ヴァンサン・ヴォワチュール,1638年10月7日付,ジェノバから 1638年9月ルイ14世誕生し、それをフィレンツェへ伝えフランス国王使臣としてヴォワチュールが選ばれたため、当時パリ離れていた。ランブイエ侯爵夫人宮殿様子仔細に伝えるように言われたのでその道中で認められ手紙であり、この一節明らかに夫人邸を念頭に置いている。無理難題苦慮しながらも、夫人邸と同じよう斬新な設計であったことをほのめかしているわけである。ちなみにこの旅でヴォワチュールはタルマン・デ・レオーと出会い、彼をサロン紹介した上述の手紙はタルマン・デ・レオーによって伝えられているものである邸宅寝室には、当時用いられていた赤と金ではなく青色用いていた。こちらも斬新で、この部屋は「青い部屋(Chambre Bleu)」として有名となった。ソーヴァルの書物においては邸宅事例として最初に夫人邸が紹介され、「最も素晴らし邸宅」とされている。その庭園は「多くの不思議語られる名高い名園」とされており、夫人私室から見えていたテュイルリー宮殿庭園参考作られたという。中央には噴水があり、必死水源確保しようとしたことが手紙存在から明らかとなっているが、ちょろちょろ流れ出る程度にしか出なかったようである。窓にはフレンチウィンドウを採用した。フレンチウィンドウは夫人考案したともいわれるが、単に都会では防犯上の理由から用いられていなかっただけであり、郊外で目にしたものヒントに、採用しただけであると考えられる改築工事は以下のような経緯たどった:1614年、キャーンズヴァン病院墓地面して、窓を4つ作る権利取得1615年パリ市民のうち200人だけに許されていたテュイルリー宮殿への水道管配管する特権取得1618年着工1619年建設中暖炉支えるため、墓地中に1本の支柱設置する権利取得1620年完成 工事管理はマルク・ピオシュ(Marc Pioche)が担当した。ピオシュはラファイエット夫人父親で、後にラファイエット夫人サロン常連となった夫人設計随所見られる工夫は、後々になって建設され様々な邸宅にも見られるものであり、インテリア発展つながった。ソーヴァルは「建築家に楽しみと心地よさと、完全な美を教えた」としている。

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