ランブイエ・メリノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:56 UTC 版)
1783年、ルイ16世が甥のペンティエーブル公爵からその領地を譲り受けた。このランブイエは動物園と荘園を兼ねるようになった。ランブイエの管理者となったダンギヴィリエール伯爵(Charles Claude Flahaut de La Billarderie)はルイ16世に対して、スペインのカルロス3世からメリノ羊を大量輸入するよう働きかけた。ランブイエに届いたメリノは寄せ集めだったが、選別と交配により独自の品種を確立した。ランブイエ動物園は革命のあと政府所有の実験牧場となった。 19世紀末ブエノスアイレスを中心に繁栄するアルゼンチン・メリノはランブイエ・メリノを地元品種と交配したものである。ウルグアイでの品種改良にも使われた。しかし南米の豪雨で腐蹄病(Foot rot)に苦しんだ。
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