ポップカルチャーの中の郊外
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 19:00 UTC 版)
郊外が上流階級や下流階級までに至るアメリカ人の生活の主な舞台になると、ハリウッドやその他インディーズも含めたアメリカの映画は、都心部や農村だけでなく、郊外に住む家族などを題材に作られるようになった。単に郊外が舞台の作品は無数であり、郊外に対する考察を含む、または郊外そのものがテーマの映画作品やテレビドラマも多い。アメリカの映画やドラマは第二次大戦後、アメリカ内部のみならず全世界に対して理想的なアメリカ郊外生活のあり様を発信してきたが、今日では郊外生活の問題を発信する方向に変わりつつある。 たとえばシットコムなどは、大都市に住むユダヤ人たちや若いクリエイターやエリートを描く以外、残りはほとんど郊外が舞台である。アニメーションでは、『ザ・シンプソンズ』も舞台は典型的な郊外である。また『デスパレートな妻たち』のように、話題となるドラマの多くも郊外生活者の空虚や焦燥を描いている。 またロックなどのポップミュージックにも、古くはモンキーズの"Pleasant Valley Sunday"、デビッド・ボウイの"Buddha of Suburbia"、近年ではペット・ショップ・ボーイズの"Suburbia"、グリーン・デイの"Jesus of Suburbia"など、郊外を扱った曲は枚挙に暇がない。 また、文学や美術などでも郊外は重要なテーマである。ファヴェーラやゴミ捨て場のスラムなど貧困な郊外から、先進国の中産階級用の郊外住宅の均一な風景、その画一的な生活など題材は無数である。アメリカではレイモンド・カーヴァーの郊外生活者を淡々とつづった小説作品、あるいはグレゴリー・クリュードソンの郊外風景に異物や奇怪な出来事を紛れ込ませた写真作品、日本ではホンマタカシの東京郊外のすでに年数の経過したニュータウンを撮影した写真シリーズなどが一例である。 サバービア アメリカでは「サバービア」(suburbia)という用語が頻繁に使われる。これは、郊外生活のコンセプトを、「画一的な住宅での画一的な核家族の暮らしの中に、自然な人間の欲望・真のコミュニティーを求める心・公共の福祉への関心といった、穏やかな社会を破壊しかねない力をひた隠している、奇怪だけど傍から見ると笑える一場面」という形で縮約する用語である。 1950年代から1970年代における、アメリカの住宅市場の事実上の分離によって誕生した、ほかの人種(特に黒人)は住むことができない「白人地域」を指して「サバービア」と呼ぶこともある。 1960年代から1970年代にかけて、全米にレビットタウンのクローンのような郊外住宅が立ち上がった時代に生まれ育った多くのアメリカ人は、郊外で暮らすティーンエイジャーの頃に、アメリカの郊外の本質的に清潔で退屈な性質を思い知るようになった。 「サバービア」という概念はこうした事や、その他(時として愛らしく思える)アメリカ郊外生活の奇習(たとえば、独立記念日の裏庭でのバーベキューパーティー)を含むものである。 大衆文化は1980年代から1990年代初めにかけて、この概念を取り上げるようになった。英国では、さまざまなテレビドラマ(たとえば『The Fall and Rise of Reginald Perrin』)などが、サバービアをよく手入れされているが無情で退屈であり、住民もそうした状況に自分の振る舞いを適応させようとしたり、統制された味気ない雰囲気をかき回そうとしたりするように描いている。アメリカではデヴィッド・リンチが同様の、しかしより暴力的なテーマを扱っている。 サバービアをテーマにしている映画群 「サバービア・ムービー」なる映画ジャンル名が使用されたこともあったがあまり定着はしなかった。『アメリカン・ビューティー』『マグノリア』『アイス・ストーム』などが製作された20世紀末頃に使われた。 泳ぐひと 1968 普通の人々 1980 ヘザース/ベロニカの熱い日 1988 シザーハンズ 1990 アップルゲイツ 1991 ショート・カッツ 1993 アイス・ストーム 1997 ハピネス 1998 カラー・オブ・ハート 1998 アメリカン・ビューティー 1999 マグノリア 1999 エデンより彼方に 2002 リトル・チルドレン 2004 レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで 2008
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