ポカホンタスの神話化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 07:23 UTC 版)
「ポカホンタス」の記事における「ポカホンタスの神話化」の解説
ポカホンタスの生前の唯一の肖像画は1616年、オランダ生まれの版画家サイモン・ヴァンダーパッセ (Simon Van de Passe) により制作された。西洋の服を着せられているが、彼女のネイティブアメリカンとしての個性は強く残っており、銅版画からは彼女の強い個性を感じることができる。 しかしこの銅版画に基づき1世紀後に制作された油彩画では、彼女の服装は同じだが、肌はより白く、髪も軽い茶色に描かれ、全体的に白人に受け入れやすいようにデフォルメされている。また彼女の厳格なまなざしもリラックスしたものに変わり、より上品で「文明化された」印象を与える。 また、当時の思春期までの少女の習俗である全裸で描かれたものも多く、鹿皮の衣服に続き、やがてほとんど透明な衣服をまとった姿で描かれていく変遷の中、全体として彼女の外観は十代の妖精風から、ヨーロッパの女性美の理想にまで及んでいる。 カミラ・タウンゼンドは「実際のところ、アメリカで重んじられているポカホンタスの物語全体は、ポルノグラフィである」と述べ、「この伝説に出てくる少女には、彼女自身のどんな欲求、野心、怒りもまた意見もなく、彼女は単にジョン・スミスや白人、および英国文化を崇拝するためのみに存在している」と述べている。 19世紀前半、ネイティブアメリカンの同化が進む中、ポカホンタスのキリスト教徒への改宗とヨーロッパ文明受容の物語は、トーマス・ジェファーソン大統領の進めた対ネイティブアメリカン同化政策の可能性の象徴として描かれるようになった。彼女の改宗の場面は連邦議会議事堂の中心にあるロタンダ(円形大ホール)にかかっているジョン・チャップマンの絵画『ポカホンタスの洗礼』(1840年) にも描かれている。議事堂パンフレットは「ポカホンタスの洗礼の絵」と題してこの絵を取り上げ、絵の中の登場人物を紹介し、「ジェームズタウンの入植者はネイティブアメリカンから奪うだけではなく“異教の蛮人”にキリスト教を導入した」と賞賛している。 このころから、資料の少ないポカホンタスの生涯が多く書籍化されることになる。 ダニエルやタウンゼンド、および他の評論家たちは、なにはともあれポカホンタスがジェームスタウンで、重要な役割を果たしたことは間違いない、としている。ダニエルは「スミスとその仲間の移住者が我々に信じさせたがっているような劇的なものではなかったろうが、この子供がネイティブアメリカンが新来者と共に求めた平和の具体化であった」とし、「実際、ポカホンタスは子供と大人の間でポウハタンの平和の象徴になった」と書いている。 またタウンゼンドは、よく知られたポカホンタス小説の多くが、「単に楽しい歴史物語に過ぎない」と主張し「この作り事の解釈は、白人アメリカ人がとても好んでいるので、変更が容易でない」と述べている。 「ポカホンタスの真実の物語:歴史の他側面」が2007年に出版される際に、これに寄せて、共著者であるリンウッド・“リトルベアー”・カスタローの兄であり、マッタポニ族(ポウハタン族の構成部族のひとつである)の酋長であるカール・“ローンイーグル”・カスタローは、ネイティブアメリカンに対する差別と、彼らの見解が嘲笑されるのではないかという恐れのため、「我々は、ポカホンタスの実話を語ることを考えてこなかった。」と述べ、「人々は我々の文化的なレンズを通して歴史を見ようとしてこなかった。歴史の別側面、それもマッタポニ族の神聖な歴史を通してポカホンタスを見るときが来ている」と書き送っている。
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