平和の象徴に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:24 UTC 版)
折り鶴や千羽鶴が平和の象徴となったのは、佐々木禎子が原爆の子の像のモデルになったことによる。佐々木禎子は1955年10月に亡くなるが、その思いは同級生や他の被爆者により引き継がれ、原爆の犠牲になったすべての子供たちへの慰霊として1958年5月に原爆の子の像が平和記念公園に建てられる。この原爆の子の像の塔の鐘には、湯川秀樹により「千羽鶴」と彫られている。 「広島折鶴の会」の世話人を務めていた河本一郎は 「つるを折り、この像にささげるということだけでも、平和への行動に参加することになるとおもうのです」 と語った。 禎子の千羽鶴の物語はフィクションも巻き込みながら海外へと紹介され、千羽鶴は単純な長寿祈願を超えて、「生きたい」という生存権利の主張という意味合いを持って世界に広がっていった。 1999年と2000年に広島市へ折り鶴を送ってきた個人や団体の代表者に『サダコと千羽鶴』の物語を知っているかアンケート調査した結果、日本は「知らない」が39%だったのに対し、海外は7%であった。この結果を元に広島市は「折り鶴とサダコは、日本よりも海外で密接に結びついてひろまっている」との分析を市のホームページに掲載した。逆に日本の個人や団体は約4割も『サダコと千羽鶴』について知らないまま折り鶴を送っている。
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