長寿祈願
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:39 UTC 版)
多賀社は特に長寿祈願の神として信仰された。 鎌倉時代の僧である重源に以下の伝承がある。東大寺再建を発念して20年にならんとする61歳の重源が、着工時に成就祈願のため伊勢神宮に17日間参籠(さんろう)したところ、夢に天照大神が現れ、「事業成功のため寿命を延ばしたいなら、多賀神に祈願せよ」と告げた。重源が多賀社に参拝すると、ひとひらの柏の葉が舞い落ちてきた。見ればその葉は「莚」の字の形に虫食い跡の残るものであった。「莚」は「廿」(「卄」を異体字とする。wikt:廿参照。)と「延」に分けられ、「廿」は「二十」の意であるから、これは「(寿命が)二十年延びる」と読み解ける。神の意を得て大いに歓喜し奮い立った重源は以後さらに20年にわたる努力を続けて見事東大寺の再建を成し遂げ、報恩謝徳のため当社に赴き、境内の石に座り込むと眠るように亡くなったと伝わる。今日も境内にあるその石は「寿命石」と呼ばれている。また、当社の神紋の一つ「虫くい折れ柏紋」はこの伝承が由来である(今一つに三つ巴がある)。 天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母・大政所の延命を祈願し、成就したため、社殿の改修を行わせようと大名に与えるに等しい米1万石を奉納した。現在残る庭園(国の名勝)は、秀吉が奉納した1万石をもとにして築造されたものである。また、境内正面の石造りの太鼓橋(不動院大僧正慈性により寛永15年(1638年)造営)は「太閤橋」の雅名でも呼ばれる。
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