フランスの植民地建設への試み
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「シェイク・サイード」の記事における「フランスの植民地建設への試み」の解説
1840年から1860年の間、フランスは紅海のアフリカ側、マッサワ以南のアンフィラ湾(英語版)やイディ、ズラを現地部族から購入し、植民地を作ることを試みてきたが、これらの購入は無意味だった。1860年には半公式の任務中であったスタニスラス・ラッセル(フランス語版)がティグレのラス(英語版)と、アドゥリス湾とデッシ島の購入に関する条約を締結したが、これも最終的にフランスは批准しなかった。 フランスは植民地の建設を紅海のアフリカ側に築き上げることを計画し続けてきたが、1868年3月にアデンとバブ・エル・マンデブ海峡の間に居住する部族のシェイクであったアブドゥッラー・ビン・ムルシンが、フランスが地域を保護する見返りにアブドゥッラーの領地の中に位置するコール・アムラン港などにイギリスがアデンに設立した拠点と同様の物を設置することを、アデンのフランス領事に提案する手紙を送った。 港を確認することを担当することとなったフリゲート艦、ミネルヴァの指揮官であったシャイレは、この地の港は中規模の船舶でさえも接近が危険であり、さらにイギリスの影響下に置かれているアデンに隣接するこの地への保護領の設立は無数の争いの源となるにもかかわらず、なんの利益もないということを強調して報告した。そのため、フランスがこの提案を受けることはなかった。数年後、オスマン帝国の宗主下から独立を勝ち取ったアケミス族のシェイク、アリー・タバト・ドーレインはアデンに滞在するボナバンチュール・マスという、ザンジバルのマルセイユ企業ヴィダル・フレールの代理人に貿易拠点の建設のためにシェイク・サイード半島を購入することを持ちかけた。 当時はスエズ運河の開通が近づいてきており、紅海の入り口に位置するバブ・エル・マンデブ海峡のシェイク・サイード半島を購入することはマスにとって非常に魅力的だった。 資金が不足していたマスは、スエズ運河会社の元社員で、マルセイユの別の商社であるアデン・デュ・ラボー・フレール社のテオドール・ポイライと協力し、1868年10月1日、「バブ・エル・マンデブ海峡からすべての方向に6時間歩いた、シェイク・サイードと呼ばれる領域」を租借し、6ヶ月間の契約期間の満了時に80000ターラー(約425000フラン)を支払う契約を締結した。売買契約は隣接する地域に居住する部族の主要な7人のシェイクの出席の下に作られ、その時のアデンのフランス領事であったバロン・デュ・クレチーに公認された。 マスからの出資金をシェイクサイードから回収するために、ポイライはフランスに戻り、ラボー社の代表として、フレデリック・ヴァン・デン・ブロークと共にナポレオン3世の側近から援助を受けた。その後ポイライはアルフレ・ラボーに事業を提案した。彼の兄弟であったエドュアールは、マックス・バザンとオーギュスト・バザンの兄弟と力を合わせて、探検に出ることを決定した。 1868年11月6日、バザンとラボーの両兄弟、フレデリック・ヴァン・デン・ブロークは、資本金100000フランをかき集め、「バブ・エル・マンデブ地域研究会」を結成した。研究会は10月1日に手に入れたシェイク・サイードの権利を利用することを担当した。新会社の設立趣意書に付随する地図上では、契約の「すべての方向に6時間歩いた、シェイク・サイードと呼ばれる領域」という定義は、165000ヘクタールを取り囲む半径42kmの領域」と変更された。貿易の拠点となる商館に加えて、シェイク・サイード半島内陸に切り込んだラグーンの港湾は冬季モンスーンの四ヶ月間を耐えきれないため、シェイク・サイードを利用する計画の為には堤防の建設が必要となった。 発起人たちはシェイク・サイードが最も素晴らしい商業港となり、地域の主要港としての地位で、アデンに取って代わる「新たなマルセイユ」となれると考えて、シェイク・サイードについて様々なことを述べた。 「淡水は十分豊富で、木材や食料は簡単に手に入れることができる。シェイク・サイードには農業植民地が繁栄するだろう。蒸気機関で使用できる石炭は地面から露出している」。実際のシェイク・サイードは火山性の岩に覆われた起伏の激しい半島で、農業には適さない。 アンリ・ド・モンフレイが1914年の一月にこの地を訪れた際には、暗い描写がなされている。「海岸から4キロ以上の地には塩やマグネシウムを含んだ物以外の水は見つからない。付近には木も草も生えておらず、牛もいない。人口は250人ほどの漁民に減少しており、半島の内陸に切り込んだラグーンの海岸付近のあばら屋に居住している。魚はとても豊富である」。
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