フクヤマ主義の真意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:36 UTC 版)
フクヤマは、民主主義は唯一の合理的で普遍的な正当性を持ったイデオロギーであると述べている。これは言い換えると『民主主義絶対善』の考え方である。価値相対主義を信条とする民主主義が絶対善へと化し、不寛容で冷酷な政策を採る。これは古くから言われていた民主主義の持つ危険性であり、矛盾である。2003年にアメリカのブッシュ大統領が、『中東の民主化』を掲げ、大量破壊兵器の存在を口実に軍事侵攻を開始した。独裁者はそれだけで悪なので、武力に訴えて追放しても許されるというブッシュの行動は、やはりフクヤマ的な歴史終焉論が大きな思想的背景になっているのは否定できない。「石油のための戦争だ」と批判を受けたが、ブッシュ政権にとってイラク攻撃は、歴史終焉論と民主的平和論に基づいた世界の恒久平和の実現という崇高な理想への第一歩であり、文字通りの聖戦だった。 しかし、フクヤマの歴史終焉論は歴史哲学であり、現状論ではない。歴史段階が成熟していないところに、不用意に民主主義を持ち込んでも混乱するだけである。実際問題として中東は混乱している。それは石油という地下資源に恵まれすぎているので近代化、工業化、産業化する必要が他国よりもないという側面もあるだろうし、イスラム教の政教分離が現段階では不十分であるという側面もある。さまざまな理由により、民主主義的理念(価値相対主義や平等主義)が充分に普及していないのである。イラクの混迷は文明や宗教の差というよりも、歴史段階の差であり、時間はかかるが必ず中東にも民主主義は根付くとフクヤマは考えている。フクヤマが観念論的なヘーゲル主義を展開したのは、民主主義を広めるには、単純に武力というハードパワーによって独裁者を追放するだけでは駄目で、ソフトパワーによる民主主義理念の普及拡大が必要不可欠だからである。独裁国の国民に民主主義を文字通り「説教」しなくてはいけないのである。そのためには、国民の識字率を上げ、宗教的迷信ではなく科学的批判精神を教育する普通教育制度、新聞やラジオ、テレビ、インターネットなどのメディア網、テロではなく話し合いによってトラブルを解決する裁判制度などの社会インフラの整備も必要である。フクヤマの歴史終焉論は、民主体制が近代化の結果であることを説くことによって、歴史段階の相応しない安易かつ性急な民主主義の拡大をむしろ戒めるものなのである。 フクヤマはあくまでも近代化のプロセスを描いた社会科学である自分の歴史終焉論が、アメリカ人にある種の使命感を持たせてしまったことに困惑し、『岐路に立つアメリカ』のなかで、「アメリカは自国の善意を信じているだけでは駄目で、国際機関を尊重しなければならない」と述べ、アメリカ単独行動主義、ネオコン批判を行っている。本来は一般向けとしてはやや難解な哲学書であるフクヤマの「歴史の終わり」が、センセーショナルに取り上げられ、喧伝されたのは、アメリカが御用学説、プロパガンダとして利用できると考えた側面も否定できない。「リベラルな民主主義の正当性は社会科学的に証明された。よって、民主主義の拡大のために行われるアメリカの戦争は、正義と平和のための戦争である」と容易に国際世論を誘導できるのである。しかし、フクヤマが主張したのはあくまでリベラルな民主主義の最終的勝利であり、アメリカ覇権主義の勝利ではない。これを踏まえ、あらゆるプロパガンダに利用されないように注意しなくてはいけない。
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