フクヤマの人間観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:36 UTC 版)
フクヤマはプラトンの魂の三分説を引用し、人間は欲望・理性・気概の3つの要素から分析しなければ、正確な行動原理を導き出せないと考えている。マルクス主義は、人間の物理的な欲望を重視し、気概の存在を過小評価したいわゆるアングロ・サクソン的な人間観(冷静かつ効率的に資本の増大を図るブルジョワ・タイプ)である。 しかし、現実では人間は気概や名誉のために物理的な犠牲を払う場合も多い。例えば、アマチュアスポーツ選手がメダルのために、禁欲的で過酷な練習を行うのも名誉のためである。フランスやドイツが、猫の額のような狭い領土争いに国が傾くほどの財力を費やしたのも名誉のためである。日本が圧倒的な国力を持つロシアやアメリカに挑みかかったのも理性的な判断ではなく、長く蔑視されていた有色人種の白人支配に対する怒りのためであり、名誉のためである。安定した社会体制や国家関係を作るためには、物質的な満足だけでなく、精神的な気概も満たせてやらなくてはならない。相手の面子も立てなくては、いつまでたっても闘争は終わらないのである。そのためには人種や民族、宗教、身分、職業などの差別を撤廃し、普遍的な認知(全人類を差別なく認め合うこと)を広めなくてはいけない。
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