ファスト風土・ファスト風土論への言及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 07:45 UTC 版)
「ファスト風土化」の記事における「ファスト風土・ファスト風土論への言及」の解説
評論家の宮崎哲弥は著書『新書365冊』にて、『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』に最高評価のBestを与え、いままでだれも考えていなかった「体感治安の低下を招く動機の不透明な犯罪が郊外で頻発していることの意味」を考察していると述べている。他方で、三浦展が否定的に論じる郊外の大型ショッピングセンターに実際に足を運んで長時間滞在して訪問客やアーキテクチャを観察したところ、そこは閉塞感も人工的な印象も無い快適な空間であるように思えると発言している。 東浩紀は、それほど経済的な余裕の無い若年の子持ちの夫婦にとっては地方に展開される大型ショッピングモールはきわめて快適で便利な存在であり、三浦展のファスト風土化の主張は一面的すぎると述べている。また、ファスト風土的なインフラストラクチャー(漫画喫茶・シネコンなど)に支えられた、それまでは文化であるとみなされていなかったようなものについての文化的な役割にあらためて注目する必要があるとしている。 後藤和智は三浦展のファスト風土化の議論について、それは宮台真司や香山リカのナショナリズム論にイオングループ(ジャスコ)の弊害を足しただけのものであり、いわゆるぷちナショナリズムが地方で特に顕著にみられることの根拠となるデータが示されていなかったり、少年犯罪に関する資料の読み方が不適切であるなど、思い込みで展開されているだけの稚拙な内容であると批判した。 速水健朗は、2006年から2007年頃に大ヒットしたケータイ小説とファスト風土の親和性を指摘している。それによると、ケータイ小説の物語の中での舞台としてしばしばファスト風土的な郊外が選ばれているだけでなく、ケータイ小説のヒットの背景にはファスト風土的な社会構造(ロードサイドに展開したコンビニエンスストアやTSUTAYAを販売拠点とする出版・流通システム)があるとしている。また、ケータイ小説・ファスト風土の両者ともにしばしば年長者から否定的なものとして論じられることが多いことについて、どちらも現代社会の要請によって新たに出現した文化 / 環境であり、それらにネガティブな印象を受けるのは現代人の自己嫌悪の表れであるとした。 文芸・音楽評論家の円堂都司昭は、郊外化を肯定的に論じるか否定的に論じるかは論者自身の年齢に依存する(自身の若い頃の記憶を美化して語ったりしてしまう)部分があるとする西田亮介の指摘に触れ、その意味で郊外化を否定的に論じるファスト風土化の議論は過去に存在した理想的な共同体の喪失を嘆くようなゼロ年代の昭和ノスタルジーブームの感性と対になっていると述べている。 ライターの永江朗は、(後藤和智も指摘している)犯罪発生件数関連のデータの取り扱い方に疑問を呈しているほか、地方において果たして「ファスト風土化する」以外の選択肢がありえたのか、と述べている。他方で、それまで否定的に論じられていなかった郊外化の問題点を、キャッチーなコピーを使って鮮やかに提示したと評価し、実際に地方へ出かけた際の実感としてファスト風土化の感覚は理解できるとしている。 評論家の宇野常寛は、宮城県石巻市では2011年の東北地方太平洋沖地震による津波の被害を受ける前から市街地の一部がシャッター通り化していたことに注目し、復興の際に戦後のような風景を再現しようとするのは困難であり、ファスト風土的なコミュニティを再生する方向で考えたほうがいいと、ファスト風土を肯定的に捉えている。 ライターの赤木智弘は、大型ショッピングモールの進出などの郊外化は、大規模の駐車場があって1〜2時間の買い物を楽しめる場を欲するというような地域住民のニーズが開発側の利害と一致したによって生まれたものであるとし、ファスト風土化を否定的に論じる言説について「楽しそうに買い物をする地域住民たちの姿を直視していないのではないのか」と批判している。 この他、Wikipedia、アマゾン、楽天、食べログ、クックパッド、Yahoo!ニュースなどばかりが並ぶようになり、ネット空間も「ファスト風土」化しているとの指摘もある。
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