ノーサンバランド公爵パーシー家とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ノーサンバランド公爵パーシー家の意味・解説 

ノーサンバランド公爵パーシー家 (旧スミソン家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 18:43 UTC 版)

パーシー家」の記事における「ノーサンバランド公爵パーシー家 (旧スミソン家)」の解説

1750年2月7代サマセット公死去すると、特別継承者規定基づいてヒュー・スミソン準男爵第2代ノーサンバランド伯第2代ワークワース男爵継承するとともに議会議決によりパーシー改姓した。スミソン家はイングランド内戦の際に王党派に尽くした功績王政復古後1660年準男爵叙せられていた家柄ヨークシャーのスタニックに6000エーカー土地所有した中規模地主だった。彼がパーシー改名したことで80年ぶりに「ノーサンバランド伯パーシー家」が「復活」する形となった。彼はその後トーリー党政治家として活躍し1766年10月22日にはグレートブリテン貴族爵位ノーサンバーランド公爵叙せられた。 初代公の死後はその嫡出子息子のヒュー・パーシー(1742-1817)が2代公を継承する。彼は陸軍大将まで昇進した陸軍軍人であり、トーリー党政治家でもあった。彼は父から公爵位を継承する前の1776年12月5日に母から前述パーシー男爵継承している。 また初代公に非嫡出子があり、その一人科学者ジェームズ・スミソンである。彼はパーシー家血を引いていないため、父の元来の姓スミソンを名乗った彼の遺産アメリカ合衆国寄贈され、この遺産をもとに1846年スミソニアン協会創設されている。ワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館スミソニアン協会運営しているものであるジェームズ・スミソン生前ノーサンバランド爵位絶えパーシーの名が忘れ去られても、私の名前は人類記憶されるだろう」と述べたという。 2代公の息子3代公ヒュー・パーシー(1785-1847)もトーリー党政治家であり、1829年から1830年にかけてアイルランド総督務めた。しかし反動保守的な人物であり、1832年の選挙法改正反対している。 その弟の4代アルジャーノン・パーシー英語版)(1792-1865)も保守党政治家であり、公爵位を継承する前の1816年11月27日には連合王国貴族爵位ノーサンバーランド州におけるプルードホー城のプルードホー男爵叙されていた。公爵襲爵後の1852年には第一次ダービー伯爵内閣海軍大臣英語版)を務めている。 4代公が死去するとプルードホー男爵位は廃絶し、また女系継承可能なパーシー男爵位は第7代アソル公爵ジョン・ステュワート=マレー英語版)に継承された。ノーサンバランド公爵位は初代公の次男初代ビバリー伯(英語版アルジャーノン・パーシー英語版)の息子である2代ビバリー伯ジョージ・パーシー(英語版)(1778-1867)が継承した。 その息子である6代アルジャーノン・パーシー(1810-1899)はヴィクトリア朝保守党政権下で閣僚職歴任したトーリー気質の者が多いノーサンバーランド公爵家の歴代当主中でも特に保守反動的だったことで知られ1867年第二次選挙法改正1886年提出されアイルランド自治法案強く反対した。 その孫である8代公アラン・パーシー(英語版)(1880-1930)は、貴族院極右グループ指導者となり、『愛国者』と名付けた定期刊行物発行し、「大英帝国ユダヤ人ボルシェヴィズムから守る」と称して反ユダヤ主義反共主義宣伝行った。 その長男の9代公ヘンリー・パーシー英語版)(1912-1940)は、第二次世界大戦従軍したが、1940年5月ドイツ軍西方電撃戦の際にベルギー・エスケルム(オランダ語版)で戦死している。 その弟である10代公ヒュー・パーシー(英語版)(1914-1988)は、1957年第9代アソル公爵ジェイムズ・ステュワートマレー英語版)の死去時に彼が所持していたパーシー男爵継承したアソル公爵家に移っていたパーシー男爵位が再びノーサンバーランド公爵家に戻る形となった2020年現在当主10代公の次男である12代公ラルフ・パーシー(英語版)(1956-)である。 初代公が領地鉱山開発励み子孫たち鉱山賃貸して金を稼いだため、非常に裕福な貴族である。20世紀には経済的に没落する貴族増え領地売却盛んになったが、ノーサンバーランド公爵家はうまく立ち回って大きな没落防いだ18エーカーもの領地有した19世紀後半最盛期比べる減少したものの、いまだ10万5000エーカー(1976年発表)にもおよぶ領地所有する大地主である。ノーサンバランド州に広大な領地持ちノーサンバランド伯パーシー家時代から伝わるアニック城やサイオン・ハウスを所有し続けている。

※この「ノーサンバランド公爵パーシー家 (旧スミソン家)」の解説は、「パーシー家」の解説の一部です。
「ノーサンバランド公爵パーシー家 (旧スミソン家)」を含む「パーシー家」の記事については、「パーシー家」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ノーサンバランド公爵パーシー家」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ノーサンバランド公爵パーシー家」の関連用語

1
パーシー家 百科事典
16% |||||

ノーサンバランド公爵パーシー家のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ノーサンバランド公爵パーシー家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのパーシー家 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS