ノーサンバランド公爵パーシー家 (旧スミソン家)
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「パーシー家」の記事における「ノーサンバランド公爵パーシー家 (旧スミソン家)」の解説
1750年2月に7代サマセット公が死去すると、特別継承者の規定に基づいてヒュー・スミソン準男爵が第2代ノーサンバランド伯と第2代ワークワース男爵を継承するとともに議会の議決によりパーシーに改姓した。スミソン家はイングランド内戦の際に王党派に尽くした功績で王政復古後の1660年に準男爵に叙せられていた家柄でヨークシャーのスタニックに6000エーカーの土地を所有した中規模の地主だった。彼がパーシーに改名したことで80年ぶりに「ノーサンバランド伯パーシー家」が「復活」する形となった。彼はその後もトーリー党の政治家として活躍し、1766年10月22日にはグレートブリテン貴族爵位ノーサンバーランド公爵に叙せられた。 初代公の死後はその嫡出子の息子のヒュー・パーシー(1742-1817)が2代公を継承する。彼は陸軍大将まで昇進した陸軍軍人であり、トーリー党の政治家でもあった。彼は父から公爵位を継承する前の1776年12月5日に母から前述のパーシー男爵を継承している。 また初代公には非嫡出子があり、その一人が科学者のジェームズ・スミソンである。彼はパーシー家の血を引いていないため、父の元来の姓スミソンを名乗った。彼の遺産はアメリカ合衆国に寄贈され、この遺産をもとに1846年にスミソニアン協会が創設されている。ワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館はスミソニアン協会が運営しているものである。ジェームズ・スミソンは生前「ノーサンバランドの爵位が絶え、パーシーの名が忘れ去られても、私の名前は人類に記憶されるだろう」と述べたという。 2代公の息子の3代公ヒュー・パーシー(1785-1847)もトーリー党の政治家であり、1829年から1830年にかけてアイルランド総督を務めた。しかし反動保守的な人物であり、1832年の選挙法改正に反対している。 その弟の4代公アルジャーノン・パーシー(英語版)(1792-1865)も保守党の政治家であり、公爵位を継承する前の1816年11月27日には連合王国貴族爵位のノーサンバーランド州におけるプルードホー城のプルードホー男爵に叙されていた。公爵襲爵後の1852年には第一次ダービー伯爵内閣で海軍大臣(英語版)を務めている。 4代公が死去するとプルードホー男爵位は廃絶し、また女系継承が可能なパーシー男爵位は第7代アソル公爵ジョン・ステュワート=マレー(英語版)に継承された。ノーサンバランド公爵位は初代公の次男初代ビバリー伯(英語版)アルジャーノン・パーシー(英語版)の息子である2代ビバリー伯ジョージ・パーシー(英語版)(1778-1867)が継承した。 その息子である6代公アルジャーノン・パーシー(1810-1899)はヴィクトリア朝の保守党政権下で閣僚職を歴任した。トーリー気質の者が多いノーサンバーランド公爵家の歴代当主の中でも特に保守反動的だったことで知られ、1867年の第二次選挙法改正や1886年に提出されたアイルランド自治法案に強く反対した。 その孫である8代公アラン・パーシー(英語版)(1880-1930)は、貴族院の極右グループの指導者となり、『愛国者』と名付けた定期刊行物を発行し、「大英帝国をユダヤ人とボルシェヴィズムから守る」と称して反ユダヤ主義と反共主義の宣伝を行った。 その長男の9代公ヘンリー・パーシー(英語版)(1912-1940)は、第二次世界大戦に従軍したが、1940年5月のドイツ軍の西方電撃戦の際にベルギー・エスケルム(オランダ語版)で戦死している。 その弟である10代公ヒュー・パーシー(英語版)(1914-1988)は、1957年の第9代アソル公爵ジェイムズ・ステュワート=マレー(英語版)の死去時に彼が所持していたパーシー男爵を継承した。アソル公爵家に移っていたパーシー男爵位が再びノーサンバーランド公爵家に戻る形となった。 2020年現在の当主は10代公の次男である12代公ラルフ・パーシー(英語版)(1956-)である。 初代公が領地で鉱山開発に励み、子孫たちが鉱山を賃貸して金を稼いだため、非常に裕福な貴族である。20世紀には経済的に没落する貴族が増え、領地売却が盛んになったが、ノーサンバーランド公爵家はうまく立ち回って大きな没落を防いだ。18万エーカーもの領地を有した19世紀後半の最盛期と比べると減少したものの、いまだ10万5000エーカー(1976年の発表)にもおよぶ領地を所有する大地主である。ノーサンバランド州に広大な領地を持ち、ノーサンバランド伯パーシー家時代から伝わるアニック城やサイオン・ハウスを所有し続けている。
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