保守党政権下で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 15:18 UTC 版)
「スペンサー・キャヴェンディッシュ (第8代デヴォンシャー公爵)」の記事における「保守党政権下で」の解説
1895年6月に第三次ソールズベリー侯爵内閣(英語版)が成立すると自由統一党と保守党は「統一党(Unionist Party)」を結成して連立政権を組んだ。デヴォンシャー公爵はイギリス枢密院議長として入閣した。 デヴォンシャー公爵は綿工業資本を背景とする人物であるため、清国市場に強い興味を持っており、中国分割において満洲や北中国を勢力圏としていくロシア帝国を危惧していた。バルフォアやチェンバレンとともに対ロシア強硬論を唱え、ドイツ帝国や日本との連携を強化すべしと主張した。 首相がアーサー・バルフォアに変わった後の1903年に起こった関税改革論争では蔵相チャールズ・リッチー(英語版)らとともに自由貿易派として行動し、チェンバレンの関税改革に反対した。閣内で孤立したチェンバレンは1903年9月21日に植民地大臣を辞して主要工業都市で関税改革の世論を盛り上げる遊説を開始する。折衷的立場をとっていたバルフォア首相は、バランスを取るため1903年10月9日にもリッチーら自由貿易主義閣僚を解任したが、デヴォンシャー公爵については閣内にとどめたがり、慰留にあたった。しかし結局公爵も自由貿易主義者の圧力を受けて枢密院議長職を辞することになった。 一方チェンバレンは自由統一党内で関税改革の支持を獲得していき、そのためデヴォンシャー公爵は1903年10月26日にも「自由統一党協会(Liberal Unionist Association)」総裁職も辞職してチェンバレンにその座を譲ることになった。
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