1822年-1889年のバッキンガム=シャンドス公(グレンヴィル家)
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「バッキンガム公」の記事における「1822年-1889年のバッキンガム=シャンドス公(グレンヴィル家)」の解説
詳細は「コバム子爵」を参照 首相ジョージ・グレンヴィルの息子で外務大臣を務めた初代バッキンガム侯爵ジョージ・ニュージェント=テンプル=グレンヴィルの息子であるリチャード・プランタジネット・キャンベル・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル(1776–1839)は、1796年には第3代シャンドス公爵ジェイムズ・ブリッジスの一人娘アンと結婚し、「テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル」姓に改姓し、1813年に父の死でバッキンガム侯爵(Marquess of Buckingham)、テンプル伯爵(Earl Temple)、ニュージェント伯爵(英語版)(Earl Nugent)、コバム子爵(Viscount Cobham)、コバムのコバム男爵(Baron Cobham, of Cobham)を継承した後の1822年2月4日にバッキンガム=シャンドス公爵(Duke of Buckingham and Chandos)、シャンドス侯爵(Marquess of Chandos)、ストーのテンプル伯爵(Earl Temple of Stowe)に叙位された。このうちストーのテンプル伯爵位には、孫娘アンとその男系男子に継承可能な特別継承者の規定が付けられていた。彼の一人息子テンプル伯リチャードにはこの時点では子供が娘のアンしかいなかったためである(テンプル伯はこの翌年の1823年に男子リチャードを儲けている)。 彼の死後、息子のリチャード・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル(1797–1861)が2代公を継承し、彼の死後はその息子リチャード・プランタジネット・キャンベル・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル(1823–1889)が3代公を継承。3代公は保守党政権下で枢密院議長(在職1866年-1867年)や植民地大臣(在職1867年-1868年)を務めた。彼の代の1868年7月21日にはスコットランド貴族爵位キンロス卿を父から継承していたことが認められた。 男子がない3代公の死後、バッキンガム=シャンドス公爵はじめ保有爵位の多くは廃絶したが、特別継承者の規定がある爵位はいくつか残った。キンロス卿は3代公の長女メアリー、コバム子爵は親族の第5代リトルトン男爵(英語版)チャールズ・リトルトン(英語版)、ストーのテンプル伯爵は甥のウィリアム・ゴア=ラントン(英語版)がそれぞれ継承している。
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