1821年から1823年にかけての噴火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/24 09:25 UTC 版)
「エイヤフィヤトラヨークトル」の記事における「1821年から1823年にかけての噴火」の解説
このときの噴火は小規模なものだった。 しかし、それにより出た損害は予想以上に大きなものだった。フッ化物を多量に含んだ火山灰や有毒ガスにより、人や家畜が深刻なダメージを受け、同時に中規模の氷河湖決壊洪水も発生し、マルカルフリョゥト (Markarfljót) 川やホルスアゥ (Holtsá) 川の流域が被害を受けた。 最初の噴火は1821年の12月19日から20日にかけて始まり、翌日まで続いた。このときの火山灰は、火山の南から西にかけての地域に特に集中して落下した。 それ以降、1822年6月までは噴火は一時沈静化した状態が続いた。 同年6月末から8月初旬にかけて2度目の大規模な噴火が発生した。このとき噴き上げられた火山灰は南西はレイキャヴィーク付近のセルチャルトナルネース半島、北はエイヤフィヨルズル峡湾にまで到達するほど広範囲に降り注いだ。 その後、8月から12月にかけての期間は火山活動は小康状態となった。しかし、その間もエイヤフィヨルズル (Eyjafjörður) では有毒ガス中毒によるものと思われる牛や羊の死亡が相次いだ。また、ホルスアゥ (Holtsá) 川では小規模な氷河湖決壊洪水も続発していた。その中でも最も規模が大きかった事例は、マルカルフリョゥト (Markarfljót) 川近くの平原を水浸しにしたものであった。だが、資料が不足しているため、その洪水の発生した詳しい日時までは不明である。 1823年、数名のハイキング・グループがエイヤフィヤトラヨークトルの火口の観察に訪れた。そのときに新たな噴火口が、グヴズナステイン (Guðnasteinn) から少しだけ西に位置するカルデラの最高点付近で発見された。 1823年春、カトラ山にほど近いミールダルスヨークトル氷河の地下で噴火が起こり、同時にエイヤフィヤトラヨークトルの火山の頂上から水蒸気の柱が立ち上った。 1821年の噴火の際に噴出した火山灰の痕跡はアイスランド南部の各地で見つかっている。この火山灰の色は濃い灰色で、きめが細かく、二酸化ケイ素を68%から70%ほど含んだ中性火成岩 (intermediate igneous rock) であることが特徴である。
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