保守党党首選挙に敗れる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 05:30 UTC 版)
「マイケル・ヘーゼルタイン」の記事における「保守党党首選挙に敗れる」の解説
その後、ヘーゼルタインは親欧州派の代表格として欧州懐疑派のサッチャーとの対決姿勢を強め、1990年11月末に行われた保守党党首選挙(英語版)にサッチャーの対抗馬として出馬した。ヘーゼルタインは152票、サッチャーは204票を獲得したが、サッチャーの当選とするには4票足りなかった。第二次選挙が行われる見通しとなったが、サッチャーは自分への反感が党内で広がっていることから第二次選挙に出馬しないことを決意し、ジョン・メージャーを支える側に回った。第二次選挙までにヘーゼルタインに反対する戦線が出来上がったため、第二次選挙はメージャーが185票、ヘーゼルタインが132票、ダグラス・ハードが56票という結果に終わった。メージャーも当選とするには票が足りていなかったが、ヘーゼルタインとハードが第3次選挙への出馬を辞退したことにより、メージャーの当選が確定した。
※この「保守党党首選挙に敗れる」の解説は、「マイケル・ヘーゼルタイン」の解説の一部です。
「保守党党首選挙に敗れる」を含む「マイケル・ヘーゼルタイン」の記事については、「マイケル・ヘーゼルタイン」の概要を参照ください。
- 保守党党首選挙に敗れるのページへのリンク