ネオレアリズモ【(イタリア)neorealismo】
ネオレアリズモ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 07:01 UTC 版)
ネオレアリズモ(イタリア語: Neorealismo)とはイタリアにおいて、1940年代から1950年代にかけて特に映画と文学の分野で盛んになった潮流。イタリア・ネオリアリズムとも言われる。
リアリズムの方法で現実を描写する傾向は、当時のイタリアで支配的だったファシズム文化への抵抗として、また頽廃主義の克服として、1930年代ごろすでにあらわれ始めた新たな社会参加から生まれた。知識人は歴史的責任を自ら引き受けなければならず、人々の要求を代弁しなければならないという考え方が、この時期広まっていた。このため、ネオレアリズモの作家・映画人たちは、日常語を模範とした平易で直接的な言語を採用した。
ネオレアリズモが確固たる地位を得たのは1943年から1950年にかけてである。この時期はファシズムとナチズムに対する抵抗の時期であり、また戦後の混乱期であった。この間多くの作家が、初めはパルチザン闘争に、次いで政治的議論に関わりあった。パルチザン闘争、労働者の要求、市民の暴動といった主題が、この時期のネオレアリズモ映画やネオレアリズモ文学によく現れる。
映画におけるネオレアリズモ
この時期の映画は、内戦による恐怖と破壊を経験したあとで未来を築こうとあえいでいたイタリア社会に現れた問題や現実に題材をとっていた。ネオレアリズモ風の映画を製作した主な映画人としては、ロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンティ、また脚本家のチェーザレ・ザヴァッティーニらが有名である。
日本では、1949年9月以降に『戦火のかなた』、『平和に生きる』、『靴みがき』などの作品が立て続けに封切りされて「イタリアのネオリアリズム作品」として扱われた[1]。
代表的な映画
- 『無防備都市』ロベルト・ロッセリーニ(1945年)
- 『自転車泥棒』ヴィットリオ・デ・シーカ(1948年)
- 『揺れる大地』ルキノ・ヴィスコンティ(1948年)
文学におけるネオレアリズモ
ネオレアリズモという用語は初め、このような映画の方法を指すものとして考案されたが、次いで文学の領域に採り入れられた。同じ時期に、大勢の重要な作家たちがネオレアリズモ的な理念の影響を受けている。なかでも、エリオ・ヴィットリーニ、チェーザレ・パヴェーゼ、イタロ・カルヴィーノ、カルロ・レーヴィ、アルベルト・モラヴィアなどが知られている。
代表的な小説
- 『シチリアでの会話』エリオ・ヴィットリーニ(1941年)
- 『故郷』チェーザレ・パヴェーゼ(1941年)
- 『キリストはエボリに止りぬ』カルロ・レーヴィ(1945年)
- 『くもの巣の小道』イタロ・カルヴィーノ(1947年)
日本への影響
日本では、イタリアでの写実主義の運動に影響されて、1938年の映画「その夜の女」にて、松竹は”ネオ・リアリスモ”というサブタイトルをつけて、ジャーナリスティックな宣伝を行っている。 [2]。
脚注
- ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、373頁。ISBN 4-00-022512-X。
- ^ “松竹データベース映画「その夜の女」”. 松竹. 2023年7月4日閲覧。
関連項目
ネオレアリズモ
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詳細は「ネオレアリズモ」を参照 イタリアの映画業界は、独裁政権による影響をあまり受けなかったと言える。第二次世界大戦が近づくにつれ、他の戦時国と同じように多くのプロパガンダ映画も製作されたが、1942年、アレッサンドロ・ブラゼッティが『雲の中の散歩 Quattro passi tra le nuvole』を監督、この作品が最初のネオレアリズモ作品と言われている。 ネオレアリズモの動きは戦後すぐに活発になっていく。アンナ・マニャーニの忘れがたい演技も光る『ローマで夜だった』を含めた著名なロッセリーニの3部作は、経済的また道徳的に混乱期にあり、人々の日常生活が変化していくイタリアを描いた。また、チネチッタが難民の流入により使用できなかったため、多くの作品が、打ち捨てられた道路といった野外で撮影された。このジャンルはすぐに政治の道具にも使われるようになったが、多くの監督たちは政治と映画の間に一線を引くことに成功した。 過酷な生活と詩的な美しさを融合させた監督にヴィットリオ・デ・シーカがいる。デ・シーカは脚本家のチェーザレ・ザヴァッティーニと共に『靴みがき』(1946年)、『自転車泥棒』(1948年)、『ミラノの奇蹟』(1950年)などの作品を生み出していった。彼の作品『ウンベルトD』(1952年)は、小さな犬を連れた一人の年老いた男性が、家賃の高騰により立ち退きを要求され、自分のプライドを曲げて生活のために乞食になるという状況に直面するというストーリーである。しかしこの作品は政府からの反発を招き、反国家的感情を煽るとされ、興行的には失敗となってしまい、以後、イタリアでもテレビで数回しか放映されていない。
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