ネイスミスの考案とは? わかりやすく解説

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ネイスミスの考案

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:27 UTC 版)

バスケットボール」の記事における「ネイスミスの考案」の解説

バスケットボールは、一人人物によって考案され広まった数少ない競技のひとつである。考案者アメリカマサチューセッツ州スプリングフィールド国際YMCAトレーニングスクール(現・スプリングフィールド・カレッジ)の体育教官務めていたカナダ人ジェームズ・ネイスミスで、1891年彼の考え出したルール現在のバスケットボール原型になっている 1891年夏、国際YMCAトレーニングスクールでは体育スポーツ指導者講習会開かれたが、当時全米各州YMCAでは冬季屋内における体操中心プログラムについて学生意欲が低いとして既存プログラム対する不満があり、レクリエーション的で競技的要素含んだプログラム求められていた。同年秋、体育部主事のL.H.ギューリックは5人の体育指導教官集めて数回にわたり検討した結果新しスポーツを創り出すほかはないとの結論達した体育教官であったネイスミスアメリカンフットボールサッカーラクロスなどを屋内ゲームとして取り入れようとしたが失敗に終わる。そこで、ネイスミスは各ゲームの要素取り出すこととしボール使用すること、ラフプレー取り除く必要からタックルをなくすためボール保持したまま走ってはいけないこととした。また、ゲーム中の安全性高めるため競技者間の身体接触少なくすることが考えられたが、これにはネイスミス少年時代過ごしたカナダ・オンタリオ州で行われていたタグ鬼ごっこ)と的当てを組み合わせた「雄落しDuck on the Rock英語版))」という遊びヒント得てゴールプレーヤー頭上水平に設置することとした。 ネイスミス最初に考案した13ルールは現在では約250にまでなっているが、ゲームの形式基本的にほとんど変化していない。 初めての試合 1891年12月21日国際YMCAトレーニングスクールで18人の学生を9人ずつに分け初めての試合が行われた。この試合ではボールサッカーボール代用したネイスミスゴールについて45cm四方の箱を想定していたが、それは用意できなかったため、代わりに入れる籠を体育館バルコニー取り付けることとなった。このときのゴールの高さ10フィート (3.05m)は以後変更されることなく現在に至っている。また、フロア広さはおよそ11m×15mの大きさであったという。この世界最初試合18人の中には留学中だった石川源三郎含まれていた。最初試合ではトスアップから1時間ほどたって1年生W・Rチェイスショット決まって点が入りゲーム終了となっている。試合様子石川スケッチ残している。 このスポーツの名称について初めての試合が行われるに先立ってネイスミス学生フランク・マーンとの間で話題になりの籠(Basket)を用いたことから「Basket ball」と名付けられた。 その後YMCAトレーニングスクール広報誌「ザ・トライアングル」(1892年1月15日号)に紹介され1892年1月になって正式にBasket ball」という名称に定まったまた、当初英語での表記は2語で「Basket ballであったが、1921年に公式に1語で「Basketballとなった日本語では直訳した「バスケットボール」の他、籠を使う球技であることから「籠球」とも訳されるプレーヤー人数 ネイスミスレクリエーション想定していたことから、両チーム同人であれば何人であってもよいと考えていたため、13条のルール中にチーム人数規定していなかった。コーネル大学では50人対50人で試合が行われたが、この試合について担任のE・ヒッチコックは「体育館破壊されかねない」などと述べるなど逸話となっている。プレーヤー人数については、その後次第制限され1894年プレーヤー人数についてはフロア面積合わせて5人、7人、9人とされることになったコート大きさプレーヤー人数現在のように確定したのは1897年になってからのことである。 コート上のプレイヤーは、限られたタイミング交代することができ、反則ケガ欠員出て交代として補充することができる。交代回数制限は無いので、1人プレイヤー何度も交代することができる。 ゴール形状 ゴールについて考案当初シュートが決まるたびに梯子や棒を用いて取り出していた。ゴール使われの籠は壊れやすかったためすぐに金属製円筒形ゴールかわっているゴール形状その後少しずつ変化し一説によればネット状で底が切れている現在のようなゴール形状になったのは1912年から1913年にかけてであるとされる。なお、リング内径45cm最初試合の時から全く変わっていない。 バックボード バスケットボール熱狂的な人気を博すようになったが、観客体育館上の手すり欄干から足や手を伸ばして妨害することが頻発したため遮蔽物設けられることになった。これがのちのバックボードで当初金網であったが、1904年から1.8cm以上の木板用いられるようになった。ところが、観客から見えないことになったため後に透明なプラスチック板が用いられるようになっている。バックボードの位置について当初エンドラインにあったが、ゴール61cmコート内側移動することとなった際にバックボードもそれに伴ってゴールと一体となってエンドラインより内側配置されることとなった

※この「ネイスミスの考案」の解説は、「バスケットボール」の解説の一部です。
「ネイスミスの考案」を含む「バスケットボール」の記事については、「バスケットボール」の概要を参照ください。

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