ニトロセルロース
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ニトロセルロース | |
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ニトロセルロースの部分構造
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綿状のニトロセルロース
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識別情報 | |
CAS登録番号 | 9004-70-0 |
特性 | |
化学式 | (C6H9(NO2)O5)n (C6H8(NO2)2O5)n (C6H7(NO2)3O5)n |
外観 | 白色または淡黄色の綿状物質 |
融点 | 160 to 170 °C |
危険性 | |
NFPA 704 | |
引火点 | 4.4 °C |
半数致死量 LD50 | 10 mg/kg |
特記なき場合、データは常温 (25 °C)・常圧 (100 kPa) におけるものである。 |
ニトロセルロース(英: nitrocellulose)は、硝酸繊維素、硝化綿ともいい、セルロースを硝酸と硫酸との混酸で処理して得られるセルロースの硝酸エステルである。白色または淡黄色の綿状物質で、着火すると激しく燃焼する。
概要
セルロースを構成するグルコース1単位分子あたり3か所で硝酸エステル化することが可能だが、さまざまな程度に硝化されたものが得られ、窒素の含有量で区別する。綿状であるため、日本では窒素量が13%以上のものを強綿薬、10%未満のものを脆綿薬、その中間を弱綿薬と称する。
ニトロセルロースはフィルム強度が高く溶媒の速乾性に優れており、また、可塑剤、樹脂、顔料などの添加で改質することができる。樟脳と混合してつくられたセルロイドは世界最初の熱可塑性合成樹脂である。フィルムやセルロイドは広範に使用されたが、可燃性と経時劣化が指摘されたため、現在ではこれらの用途にはより難燃性の合成樹脂が使用されるようになった。
用途
主な用途はラッカー塗料や火薬、接着剤(ニトロセルロース系接着剤)[1]である。かつてはロケットエンジンの推進剤などにも使用された。手品で紙を一瞬で燃やす場合、紙状や綿状のニトロセルロースを使用する。紙状の物はフラッシュペーパー、綿状の物はフラッシュコットンと呼ばれる。燃やしても灰が出ない特性を活かしている。
火薬
ニトロセルロースを主成分として各種の添加剤を加えて造粒した火薬は黒色火薬に替わる小火器、火砲の発射薬として使用されている。発射にあたって大量の白煙を上げる黒色火薬に比して無煙火薬と呼ばれる。また開発者の一人であるフレデリック・エイベルによる「コルダイト」の名称でも知られる。このうち主にニトロセルロースのみを使用した火薬をシングルベース火薬と呼ぶ。現在のほとんどの拳銃やアサルトライフルが弾薬としてシングルベース火薬を使用している。燃焼の調整を目的としてニトロセルロースにニトログリセリンを加えたものをダブルベース火薬、さらにニトログアニジンを加えた物をトリプルベース火薬と呼ぶ。こちらは主に大口径火砲の装薬として使用されている。
ナイトレートフィルム
1887年5月2日にハンニバル・グッドウィンが、ニトロセルロースを使用した映像用フィルムの製造方法の特許を申請後[2]、ナイトレートフィルムと呼ばれる映像用フィルムに使用されていた。しかし、このフィルムは自然発火し、度重なる火災、多くの犠牲者、歴史的な映画フィルムの焼失が幾度も発生した(例:1937年フォックス保管庫火災など)。そのためX線写真用フィルムは1930年代から、映画用フィルムは1948年から安全フィルムに置き換わった。ナイトレートフィルムを上映するには防火設備などが求められるため、上映できる劇場はジョージ・イーストマン博物館やエジプシャン・シアターなど数少ない[3]。
ニトロセルロースの性質上の問題もあって、一般にナイトレートフィルムの現存数は少なく、貴重な文化遺産となっており、厳重な管理が求められる。ナイトレートフィルムは物質の性質上、火に非常に弱いこと以外にも、長期保管中に焼失せずとも厳重な管理がなされていない場合劣化もしやすく、FIAF(国際フィルム・アーカイブ連盟)ではナイトレートフィルムの劣化を以下の5段階で示している。[4]
- 第1段階 - フィルムの画像が薄れていく。乳剤が茶系に変色する。微かな異臭。
- 第2段階 - 乳剤面がべとべとになる。微かな異臭。
- 第3段階 - 乳剤面の溶解、ガスの発生を伴う気泡が出る。異臭が激しくなる。映画としての複製・復元が不可能になる。
- 第4段階 - フィルムが固い塊になる。強烈な異臭。
- 第5段階 - フィルムが茶系色の粉末になる。
歴史
- 1832年 - フランスのアンリ・ブラコノーが澱粉や綿などを濃硝酸に入れて暖めて溶解させ、水洗いすると強燃性の白い粉末が出来ることを発見し、これをキシロイジンと命名した。
- 1838年 - フランスのテオフィル=ジュール・ペルーズが木綿、亜麻、紙などを濃硝酸で処理して可燃物質を作り、これをパイロキシリンと呼んだ。
- 1845年 - スイスでクリスチアン・シェーンバインが硝酸と硫酸の混酸で木綿を処理して高硝化度のニトロセルロースを作り、火薬としての応用法を発見した。
- 1886年 - 最初の実用火薬としてポール・ヴィエイユがB火薬として実用化する。
- 1889年 - より安定したコルダイトがフレデリック・エイベルとジェイムズ・デュワーによって発明される
製造法
工業的にはセルロースを硝酸と硫酸の混酸で硝化する方法で製造される。
ナイトレートフィルム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:47 UTC 版)
「1937年フォックス保管庫火災」の記事における「ナイトレートフィルム」の解説
初期の映画産業では、主にニトロセルロース製のフィルムを使用していた。これは一般的に「ナイトレートフィルム」と呼ばれている。このフィルムは可燃性で、燃えると自分で酸素を発生させる。この火は急速に燃え上がり、水中でも燃えてしまうため消火できない。また、ニトロセルロースは熱分解や加水分解を起こし、高温や水分の存在下で時間をかけて分解していく。この崩壊したフィルムストックからは窒素酸化物が放出され、それ自体が崩壊を助長し、破損したフィルムを燃えやすくする。ナイトレートフィルムは、条件によっては自然発火することもある。初期のフィルムには製造上のばらつきがあることもあり、自然発火に必要な条件はかなり不確かである。38℃以上の温度が続くこと、ナイトレートフィルムが大量にあること、湿度の上昇、換気の悪さ、フィルムの劣化などが危険因子とされている。このようなフィルムアーカイブでの火災の多くは、夏の熱波の中で、換気が制限された閉鎖的な施設で発生しており、これらの要素がいくつか重なっている。特に狭い場所では、このような火災は爆発を引き起こす可能性がある。 過去には大規模で危険な火災が発生することもあった。1897年5月4日、パリのバザール・ド・ラ・シャリテでは、リュミエール兄弟の技術により投影された動画を鑑賞できる部屋において、映写技師の装置から出火。火災に加え群集のパニックもあり126人が死亡した。さらに、200人以上の人々が火災で負傷した。アメリカでは、一連の火災が産業施設で相次いだ。1914年6月13日にはフィラデルフィアのルービン社の保管庫が爆発し、12月9日にはニュージャージー州ウェストオレンジにあるトーマス・エジソンの研究所が火災に見舞われた。1915年9月にはFamous Players Film Companyのニューヨークのスタジオが焼失し、1920年7月には、Famous Playersの後継会社であるFamous Players-Laskyの出荷施設がミズーリ州カンザスシティの火災で焼失したが、施設はそのリスクを最小限にするために建設されていた。同じくカンザスシティにあるUnited Film Ad Serviceの保管庫が1928年8月4日に焼失し、その9日後にはパテ・エクスチェンジで火災が発生した。1929年10月にはConsolidated Film Industriesの施設が火災で大きな被害を受けた。これらの火災で自然発火が起こったことは証明されておらず、1933年の研究でナイトレートフィルムが自己発火するのに必要な温度が過大評価されていたことが判明するまでは、その可能性を認識していなかったのかもしれない。
※この「ナイトレートフィルム」の解説は、「1937年フォックス保管庫火災」の解説の一部です。
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