チベットおよび国際機関による調査と主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 04:24 UTC 版)
「チベット問題」の記事における「チベットおよび国際機関による調査と主張」の解説
清帝国や中華民国時代、属領だったチベット地域はイギリスの後ろ盾で独立を目指したが、ラサ中央政府と地方政府の対立により上手く行かなかった。 チベット亡命政府は、中華人民共和国が建国された1949年に同時に開始されたチベット併合以来、チベット侵攻やカム反乱「鎮圧」、また「民主改革」の名の下の弾圧、中国全土で5,000万人が犠牲になったといわれる大躍進政策、また文化大革命などを経て、1979年頃までにチベット全域で“中華人民共和国によるチベット人大虐殺”が行われたとしている。なお、2000年代に入ってからも様々な弾圧が続いている(後述)。 酒井信彦は、ガンデンポタン(チベット亡命政府)や西側諸国政府による調査の結果、チベット動乱前後の中国によるチベット侵攻および併合政策の過程で、チベット全域で120万人にのぼる犠牲者が出たとしている。 この犠牲者のなかには、自殺者や行方不明者も含まれるという。チベット亡命政府や国際司法裁判所の『チベットと中華人民共和国』報告、医師ジョン・アーカリーとブレーク・カーによる『チベットにおける拷問と投獄の報告』、アムネスティの『中国における拷問』(1992年)、国連人権委員会の『チベットにおける真実』などが、中国政府の恐怖政治を告発したが、中国は、これらの主張を強く否定している。ICJは1997年にも、中国によるチベットへの抑圧が激化していると報告している。 1953年におけるチベット公式の国勢調査では中央チベットの人口は127万人と記録されており、中国政府の主張にしたがう学者はこれを根拠として虐殺被害者「120万」という数字の信憑性を疑問視するが、しかし、上記の通り、チベット亡命政府の採る犠牲者120万人という数は、ガンデンポタンが統治していた中央チベットだけではなく、アムド、カムをも含んだチベット全域の数字である。また、いわゆる虐殺前のチベット地域の人口は600万人といわれるが、こう主張するルヴァンソンの論拠は明らかではない。さらに、人民解放軍進駐以前のチベット人の人口統計は、その正確性に留保が必要である。 1950~1976年の間の犠牲者数は、次のように推定されている。 173,221人のチベット人が、刑務所もしくは強制収容所で死亡。 156,758人が処刑死。 342,970人が餓死。 432,705人が戦闘もしくは暴動中に死亡。 92,731人が拷問死。 9,002人が自殺。 以上、合計120万7387人。ここには1980年代以降の犠牲者数は含まれない。
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