ジャズ・フュージョン期(1973年 - 1984年)
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「ソフト・マシーン」の記事における「ジャズ・フュージョン期(1973年 - 1984年)」の解説
脱退したディーンに代わって、マーシャルと同じくニュークリアスから転籍したのがカール・ジェンキンス (オーボエ、サックス、キーボード)である。ディーンのフリー・ジャズ的かつスポンティニアスなインプロヴィゼーションとは異なり、ジェンキンスのプレイはスコアとアンサンブルを重視したものであり、その影響でバンドの音楽性は洗練された都会的な雰囲気を醸し出すようになる。また、彼のペンになる曲はミニマル・ミュージックの影響からかリズムやフレーズの反復を多用し、幻想的な音像を提示するようになる。フリー・ジャズへの接近が目立っていたディーン時代と比べ、聴きやすいジャズ・ロックへと向かってジェンキンスがイニシアティヴを握るようになっていく。ラトリッジもこの動きに追随するが、フリー志向のホッパーには物足りなかったようで、彼は1973年の『6』制作終了後に脱退する。 後任のベーシストには、かつて『4』にてゲストとしてダブルベースを演奏した、ニュークリアス出身のロイ・バビントンが就く。ここに於いてオリジナル・メンバーはラトリッジのみ、残りはニュークリアス組が占めることになり、この4人編成で『6』と同じく1973年に『7』を制作発表。この時点でラトリッジの志向するジャズ・ロックと、ジェンキンスの志向するミニマリズムとが拮抗・均衡し、独特の音世界が提示されていた。また、オルガンや電子ピアノのほか、シンセサイザーが導入されたこともバンドの音の質的変化を促した。 そして、1975年に発表された『収束』に於いて、バンドはアレン脱退以来のギタリスト、アラン・ホールズワース (ニュークリアス、テンペスト)を加える。このホールズワースのギターによってバンドはフュージョン路線を進む。ファズ・オルガンよりも強い音圧を持つリード奏者が入ったことで、今度はラトリッジが脱退。ついにオリジナル・メンバーは完全に姿を消し、バンドはニュークリアス人脈によって乗っ取られた形になる。 ラトリッジ脱退を機にバンドは更にフュージョン路線を邁進。アルバム1枚のみで脱退したホールズワースに代わり、元ダリル・ウェイズ・ウルフのギタリスト、ジョン・エサリッジをメンバーに迎える。また、ホーン奏者としてアラン・ウェイクマン(イエスのリック・ウェイクマンの従兄弟)を加え、ジェンキンスはキーボード専任となる。この編成で1976年にバンドとしては実質ラストとなるスタジオ・アルバム『ソフツ』を制作・発表する。ジェンキンス流ジャズ・ロックの決定版とも呼べる後期の名作とも評価された。 しかしその後、バビントンが脱退。ブランドXのパーシー・ジョーンズが一時在籍したが、程なくアラン・ゴーウェンのバンド、ギルガメッシュからスティーヴ・クックが正式加入。ヴァイオリニストのリック・サンダースをメンバーに加えて行われた1977年のパリ公演を収録し、これまでのジャズ・ロックやフュージョンを更に超越し、半ばテクノにまで接近した感も抱かせるライブ・アルバム『アライヴ・アンド・ウェル(ライヴ・イン・パリ)』を発表した段階(1978年)で、バンドとしてのソフト・マシーンは実質的に終わっていた。 その3年後、1981年に発表されたラスト・アルバム『ランド・オブ・コケイン』に於いては、バンドのメンバーはジェンキンスとマーシャルの二人だけのユニット状態となっており、その他のパートは全員ゲスト参加という編成で制作されている。ジャズ系のプレイヤーを多数ゲストとして起用した豪華な内容のイージーリスニング・アルバムとなった。(ソフト・マシーン名義ながら、実質的ジェンキンスのソロ・プロジェクト)そして1984年を最後に活動が途絶える。 ソフト・ヒープ / ソフト・ヘッド 1978年、本家のソフツとは別に、旧メンバーのエルトン・ディーンとヒュー・ホッパーは、ナショナル・ヘルスのアラン・ゴーウェン、ピップ・パイルというメンバーでスーパーグループを結成。メンバーの頭文字を組み合わせ「ソフト・ヒープ (Soft Heap)」と名乗る。その後メンバー交代を機に「ソフト・ヘッド (Soft Head)」と改名し、1982年頃まで断続的に活動した。
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