ザクセン軍陣地とプロイセンの包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/25 06:16 UTC 版)
「ピルナ包囲戦」の記事における「ザクセン軍陣地とプロイセンの包囲」の解説
ピルナはザクセンの中心を走るエルベ川沿いにあるが、ピルナ以南のザクセンはゼクシッシェ・シュヴァイツという山地帯で、ただでさえ起伏に富む地形であるところに、点在する突出した山塊が壁のように立ち塞がり、細いが深い谷川がいくつも走って土地を分断していた。加えて、山地を東西に分け隔てるエルベ川がピルナの東で激しく湾曲しており、その風景をさらにユニークなものにしていた。ここは非常な防衛適地で、中世よりザクセン軍はたびたびここを守りの拠点としてきた。 ザクセン軍の陣地は、ピルナの町のすぐ東にあるゾンネンシュタイン城を西端の拠点、ケーニヒシュタインに構えるケーニヒシュタイン城を東端の拠点とする強力なもので、北はエルベ川に面し、南西はピルナに注ぐゴットロイバの谷川、南東はケーニヒシュタインの麓に流れるビーラの谷川をそれぞれ障害としたL字の防衛線を形成して2つの城をつなぎ、谷の上に野戦築城を施して陣地を囲っていた。防衛面積が兵力に比してやや過大という欠点を持ちつつも、ザクセン軍は地形と城を巧みに利用して陣地を構成し、柵を連ね、堡塁によって強化し、道や丘の斜面には周りの山から切り出した逆茂木が隙なく植えられて攻撃経路を遮断していた。 ゾンネンシュタイン城やケーニヒシュタイン城に設置された大砲は周囲およびエルベ川の対岸を制圧可能で、とくにケーニヒシュタイン城はそれ自体が要塞として優れた能力を有しているのみならず、その立地によって高所からの砲撃を実施でき、エルベ川の湾曲により生じた右岸の突出部をも制圧することが可能だった。プロイセン軍は大砲を警戒して城からは一定の距離を取りつつ、砲を対置させて戦闘に備えた。ルトフスキーは陣地の中央に位置するシュトルッペンに軍の司令部を置き、アウグストはケーニヒシュタイン城で寝起きして、はじめはシュトルッペンに通っていたのが、やがてずっと城で過ごすようになった。包囲下においてもアウグストはその生活スタイルをあまり制限せず、プロイセンとの交渉継続中は通信もおおっぴらに交わしていた。当時の慣習で、大王もその分の人の出入りについては容認していたが、もちろん一般兵がそこから恩恵を受けることはできなかった。 ザクセン軍の様子を偵察した大王は、その陣地がすこぶる防御力に優れ、「緻密に計算された、ヨーロッパでもっとも強力な陣地のうちの一つ」であると認めた。大王は、陣地への攻撃は不可能であるか、可能であるとしても不相応な規模の損害を負わずにはおかないと考え、兵糧攻めを選択した。プロイセン軍はザクセン軍に攻撃を仕掛けることなく、エルベ左岸では谷の反対側に対抗陣地を構築することに専念し、右岸では、対岸よりザクセン軍を封鎖するため、ローメンからシュタット・ヴェーレン、ラーテン、バート・シャンダウと、エルベ川に沿って兵を分派して守らせ、バスタイには監視所を設けて上からザクセン軍陣地を監視した。プロイセン軍はセトリッツの北ハイデナウ付近に架橋して両岸の間を繋ぎ、南のシャンダウの橋とあわせて軍の速やかな移動を可能にしていた。ピルナの橋自体はゾンネンシュタインの射程内にあるのと同時にプロイセン軍砲兵の射程内にもあり、お互い使用できずに、ただ敵の奇襲もしくは突破の可能性に備えていた。プロイセン軍が陣固めをしている間、ザクセン軍も敢て動くことはなく、両軍はほとんど銃火を交わすことがなかった。やがてプロイセン軍の陣地が完成すると、ザクセン軍は完全に封鎖され、閉じ込められることになった。ザクセン兵はだんだんと欠乏生活を強いられるようになったが、プロイセン兵の生活は豊かであった。騙されてプロイセン軍に入れられたドイツ系スイス人の兵士ウルリヒ・ブレーカーはその様子を自伝に書き残している。 9月11日から22日まで、われわれの野営地ではすべてが平穏であった。兵士で満足していた者にとって、あの時はまさしく楽しい日々であったにちがいない。というのも野営地では、都市と全く同じ生活が営まれていたからである。そこには酒保商人や従軍した食肉業者たちが、群れをなしていた。一日中、長い路地いっぱいにものを煮たり、肉を焼いたりする人で満ちあふれていた。肉、バター、チーズ、パン、実にいろいろな種類の木の実や果実などなど、野営地では誰でも自分のほしいもの、というよりは自分の金で買えるものを手にすることができたのである。 戦闘がないのでプロイセン兵は歩哨に立つ以外は各々自由に時間を過ごした。賭け事をし、散歩し、銃を手入れし、洗濯し、ズボンや靴を直し、付近の農民に薪を売って小銭を稼いだ。ブレーカーは高台に登って両軍の陣地を見降ろしながら、脱走の計画を練ったのだった。
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