コケシ、『忍風』、白土ブームとは? わかりやすく解説

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コケシ、『忍風』、白土ブーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 22:57 UTC 版)

つげ義春」の記事における「コケシ、『忍風』、白土ブーム」の解説

1960年コケシという渾名女性知り合い大塚アパート同棲始める。最も多作時期ともなった。この時代の生活経験は『チーコ』(1966年)や『別離』1987年)の元ネタとなった。しかし、漫画描きながら内職をしたり、ポーラ化粧品訪問販売をしていた彼女と一緒に化粧品詰めた重いトランク下げ歩き回ったりしていた。 その頃1959年年末か年明けた頃に白土の『忍者武芸帖』がヒットし羽振り良かった三洋社社長初対面長井勝一が『忍者武芸帖』の第一巻持って現れ、「忍風」という雑誌を出すから描いてくれ、と頼まれ1960年2月から9月まで「武蔵秘話シリーズ6作を描く。絵柄白土真似である。6月第4号には本人会心の『盲刃』、11月の「別冊4」には傑作鬼面石』を掲載した。『鬼面石』の原稿持って行った時に三洋社初め白土三平と会う。白土の上置いてあるその原稿だまって読んでいたという。三洋社の金払い悪くなり、11月若木書房から「忍者武芸帖」を真似し単行本忍者秘帖1』を発行。この時は弟の忠男を会社辞めさせて数ヶ月手伝わせている。結局1961年5月まで4冊発行三洋社仕事は『落武者』(1961年2月)が最後となる。自身描きたい短編発表の場所がなく、生活のため若木書房単行本(長編)を描くが、貸本漫画でふたりの生計立てることは難しく、頭の中はマンガの案のことと、彼女とのゴタゴタ一杯安保闘争知らぬまま貧しい生活を送る。 1961年単行本忍者くん』(1961年7月)の途中まで描いている時にアパート追い出され、彼女と別れる原因コケシ浮気であった。彼女は一時近所貸本屋一人店番をしていたが、店を無断休んでなじみ客デートをしていた。彼女を貧困に巻き込んだつげは責めることもできず、別れた後は錦糸町の元の下宿戻りデザイナーの「木村さん」の三畳の部屋居候する。62年家主経営する装飾店に勤めてフスマ張り替えなどの仕事手伝う。同年生きていくのが面倒になりアパート睡眠薬ブロバリン」を大量に飲み自殺をはかるが、病院担ぎ込まれ未遂に終わる。家主勧め創価学会入信させられたが、宗教興味がなく、不真面目な信者であった1963年装飾店が倒産し1年半ブランク経てトップ社の『野盗の砦』(1963年4月)から再び漫画を描くようになったが、娯楽作品書くこと苦痛覚えるようになる貸本漫画家として一応の名声はあり、この時代でも原稿料は1作3万円水木しげるより高かった貸本漫画業界自体衰退していくと辰巳ヨシヒロなどの勧めもあって、従来時代劇推理物に加えてSF青春ものなど様々なジャンル手を染めるようになり、一方さいとう・たかを佐藤まさあき白土三平などこの頃人気漫画家絵柄真似ることも要求される仕事仲間であった深井国がしばらく同居する1964年、のちに『池袋百点会』(1984年)に「ランボウ」として描かれる喫茶店ブルボン通いが続く。

※この「コケシ、『忍風』、白土ブーム」の解説は、「つげ義春」の解説の一部です。
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