『別離』(1939年)
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「イングリッド・バーグマン」の記事における「『別離』(1939年)」の解説
バーグマンが初めてアメリカに渡ったのは1939年のことで、アメリカ映画『別離』(1939年)に出演するためだった。『別離』はバーグマンが主演した1936年のスウェーデン映画『間奏曲』の英語版リメイク作品で、ハリウッドの映画プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックが、バーグマンをハリウッドに招いて製作した映画である。この映画でのバーグマンの役は、レスリー・ハワード演じる名ヴァイオリニストのピアノ伴奏者で、妻子あるこのヴァイオリニストとの恋愛関係に落ちていくというものだった。自身が英語をろくに話すことができないことと、アメリカの観客からの受けも不明瞭だったため、バーグマンはアメリカで出演する映画は『別離』が最初で最後で、すぐにスウェーデンに戻るものと思い込んでいた。バーグマンの夫の医師ペッテル・リンドストロームはスウェーデンに残っており、1938年に生まれた一人娘であるピアとともにバーグマンの帰国を待っていたという背景もあった:63。 『別離』の撮影のためにバーグマンは1939年5月6日にロサンゼルスへ到着し、宿泊先が見つかるまでセルズニックの家に滞在した。当時まだ子供だったセルズニックの息子ダニーは、セルズニックがバーグマンについて「英語が話せない、背が高すぎる、名前があまりにドイツ風だし眉も太すぎる」という欠点を挙げていたと語っている。しかしながら、このようなセルズニックの懸念は外れ、バーグマンは外見も名前も変えることなく、すぐにアメリカの観客たちに受け入れられた:6。『ライフ』誌はバーグマンの特集記事で「彼(セルズニック)が彼女(バーグマン)を成功へと導いた」と指摘している。セルズニックはバーグマンが、どこの誰だか分からなくなるくらいに厚化粧を施すハリウッドのメイクアップアーティストたちに恐怖心を抱いていることを知っており、バーグマンのことを「そっとしておくように指示」した。またセルズニックはバーグマンが持つ天性の美貌が「人工的に飾り立てた」ハリウッドの女優たちに勝るとも劣らないことも確信していた。当時のセルズニックは『別離』と並行して『風と共に去りぬ』の製作も手がけていた。このときにセルズニックは広報担当のウィリアム・ハーバートに、バーグマンの印象を綴った書簡を送っている。 バーグマンは今まで私がともに仕事をした中で、もっとも優れて誠実な女優だ。何も考えていないように見えるかもしれないが、その仕事ぶりには文句のつけようがない。撮影スタジオを離れることもほとんどなく、彼女の控え室は撮影の間中そこで暮らすことができるんじゃないかと思うくらいに整えられている。彼女は午後6時になると同時に仕事をやめてしまうような女優じゃない。『風と共に去りぬ』には4人の映画スターが出演していて、みんな最上級の控え室を占有しているから、彼女にはもっと小さな控え室しか用意できなかった。それでも彼女は今までこんなに豪華な控え室は初めてだといって大喜びだったよ。まったく気取ったところのない稀有な女優だから、彼女を売り出すときには重々しさを付け加えるようにすべきだね。生来の美しさ、思慮深さ、誠実さは、彼女を伝説的な女優にすることだろう。さらに、このうえなく清らかな性格と容貌が、私に彼女との契約を決心させた理由だ:135–136。 『別離』は大きな興行的成功を収め、バーグマンは一躍人気女優となった。『ライフ』誌の特集記事によると、監督のグレゴリー・ラトフ (en:Gregory Ratoff) はバーグマンを「まったく驚くべき」女優であると評した。さらに『ライフ』誌には、撮影現場の作業員たちがバーグマンのためならば自身の仕事を後回しにしかねないほどに心酔し、さらに共演者やスタッフも「すぐに(バーグマンに)信頼を寄せるようになり、彼女の演技の方向性や台詞まわしに細心の注意を払うようになった」と記されている。イギリス人映画評論家ディヴィッド・トムソン (en:David Thomson (film critic)) はバーグマンが「大きな衝撃をハリウッドとアメリカに与えた」とし、化粧っ気のないその容貌が「気高い雰囲気」づくりに貢献したと指摘している。『ライフ』誌には、バーグマンがハリウッド映画に出演してからは、背が高く(バーグマンの身長は約175cm)「栗色の髪と青い目を持つ女性は、極度に内気ではあるけれど、内心は親しみやすく温かで、誠実かつ控えめな笑顔の持ち主」という一般的な印象を持たせるまでになったと記されている。セルズニックはバーグマンの独自性を高く評価し、その妻アイリーン (en:Irene Selznick) とともに、女優バーグマンの全キャリアに渡ってかけがえのない友人となっていった:76。
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