『刺青』処女作神話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 14:52 UTC 版)
「少年 (谷崎潤一郎)」の記事における「『刺青』処女作神話」の解説
「谷崎潤一郎氏の作品」は「明治現代の文壇に於て今日まで誰一人手を下す事の出来なかつた、或は手を下さうともしなかつた藝術の一方面を開拓した成功者は谷崎潤一郎氏である」などと一貫して谷崎文学を賞賛する文章で、谷崎が「そのお陰で私は一と息に文壇へ押し出てしまつた」と語っている通り彼の作家としての地位確立につながったことがよく知られている。またそのすぐ後に出版された処女作品集『刺青』によって華麗な文壇デビューを果たしたということも有名で、こうした出発期の出来事を「日本近代文学史上の最有名エピソード」と言う論者もいる。しかし、中島国彦の調査によれば『刺青』はもともと『少年』という題名で本作を中心とした作品集となる予定であった。中島は「谷崎潤一郎氏の作品」が「刺青」を「氏の作品中第一の傑作」と特記したことを受けて刊行直前に表題と編成が変更された可能性を論じるとともに、反響の大きさから言えば「実質的な文壇的処女作は『少年』であった」にも関わらず「荷風の谷崎賞賛の一文を境に、谷崎といえば『刺青』、という結び付きが強固になって行った」一連の経緯を「『刺青』処女作神話」と呼んだ。
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