ゲーム理論による経済学の静かな革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 17:01 UTC 版)
「ゲーム理論」の記事における「ゲーム理論による経済学の静かな革命」の解説
ゲーム理論は誕生当初には新古典派経済学と対立していたが、1950年代には一般均衡理論の重要な未解決問題であった完全競争市場の存在証明に非協力ゲームの枠組みが応用され、さらに1960年代にはシュービックによりエッジワース交換経済モデルが協力ゲームとして一般化された。これらの研究は両パラダイムが相反するものではなく、ゲーム理論が新古典派モデルの一般化であることを示しており、ゲーム理論のパワーの大きさを十分に示すものであった。鈴木光男は1960年代における両パラダイムの関係を次のように述べている。 経済学において正統的にして最も正統的なる完全競争の理論が、異端の思想であるゲームの理論によって初めて明確にされたことは、異端と正統との対立的展開の一つの象徴的事件である。このことによって、完全競争の神話は初めて理論となり得た。同時にそれが極めて特殊なものであることも明らかにされた。 — 鈴木光男『競争社会のゲーム理論』、1970年 このような交流を経ても、1980年まで両パラダイムは微妙な対立関係を保っており、現在のように経済学者によって広く研究されることはなかった。なぜゲーム理論の基礎が開発された1950年代から20年以上もの間それが経済学の研究に広く認知されることがなかったのかについて、経済学者の神取道宏は「経済学説史上の大きな謎」と述べている。しかし、1980年代に非協力ゲーム理論が急速に進展するとゲーム理論が一般の経済学者の間にも浸透してゆくこととなる。ゲーム理論は新古典派モデルの特徴のひとつである合理性の仮定を自然な形で継承・発展したものであったため、1980年代に実現したこのパラダイム転換は大きな不連続な変化として意識されないほどにスムーズであり、「ゲーム理論による経済学の静かな革命」とも評された。 研究動向の変化を示す代表的指標である「エコノメトリックソサエティ」世界大会招待講演の内訳を見ると、1975年大会においてゲーム理論は皆無だったのに対して1980年大会ではミクロ経済学者による講演全体に占める約40パーセントが、1985年大会では80パーセント以上が「ゲーム理論と情報の経済学」となっている。このように進展したゲーム理論が経済学にもたらした成果として神取道宏は以下の2点を挙げている。まず第一に、完全競争市場以外の幅広い社会経済問題を合理的行動から統一的に捉える理論体系が出来たことである。これにより、理論分析の対象となりうる範囲が俄然拡大され、産業組織論、国際経済学、労働経済学、公共経済学、金融論、経済史などの個別分野に大きな進展がもたらされた。第二の成果は、ひとたび完全競争市場の世界を離れると、各個人の利益追求は全体としては非効率な結果をもたらすことがむしろ普通であり、各個人に対して適切なインセンティブを与える制度設計が重要であるということが経済学者の間で明確に理解されたことである。 なお、ゲーム理論が経済学を市場という特定の分析対象から解放し、インセンティブ設計の理論へと発展させるに際して、契約理論が果たした役割の重要性も指摘されている。契約理論(英: contract theory)とは元来、新古典派モデルに対する諸批判を扱う研究の総称でありゲーム理論とは独立した分野であったが、「静かな革命」と称されるゲーム理論の成果は主に契約理論の個々の枠組みを介して実現された。 21世紀現在では、ゲーム理論がかつて「異端の思想」であったことを信じない専門家がいる程度までにゲーム理論は普及しており、価格理論、契約理論と並んで「ミクロ経済学の三本柱」と称されるまでに至った。1990年代以降、米国の主要大学院におけるミクロ経済学の必修講義の半分がゲーム理論の教育に充てられるようになっている。
※この「ゲーム理論による経済学の静かな革命」の解説は、「ゲーム理論」の解説の一部です。
「ゲーム理論による経済学の静かな革命」を含む「ゲーム理論」の記事については、「ゲーム理論」の概要を参照ください。
- ゲーム理論による経済学の静かな革命のページへのリンク