クレサップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 22:11 UTC 版)
入植者の中にいたマイケル・クレサップ大尉は、モノンガヘラ川のレッドストーン・オールド砦(現在のペンシルベニア州ブラウンズビル)にあった交易拠点の所有者であった。クレサップはバージニア植民地政府の承認を得て、ミドルアイランド・クリークの河口とその下流に(現在のウエストバージニア州シスターズビル)広大な土地を手に入れ、1774年早春、1隊を引き連れてそこの入植に向かった。もちろんこれは地主であるインディアンの承諾を得たものではない。 エベニーザー・ゼーンという案内人で後に「インディアン・ファイター」と呼ばれた男が、クレサップと同時期に同じ道筋で小さな集団と共に、サンディ・クリーク河口近くに所有した土地に向かった。さらにもう1隊、独立戦争で将軍にもなったジョージ・ロジャース・クラークを含む大きな集団が、リトル・カノーハ川の河口(現在のウエストバージニア州パーカースバーグ)に集合し、ケンタッキーの入植地に向かって川を下る前に、遅れてやってくるバージニアの者達の到着を待っていた。 リトル・カノーハで待つこと数日の間に、クラーク達のもとに敵対的なインディアンの集団が交易業者、測量師らオハイオに入り込んだ白人から略奪や、殺人を繰り返しており、ショーニー族を中心とするオハイオのインディアン同盟が白人と戦争をするつもりらしいという知らせが届いた。これを聞いた一行は、ケンタッキーの目的地の行きすがらにあるシオト川の河口近く、「ホースヘッド・ボトム」と呼ばれるオハイオ・インディアンの集落を襲おうと決めた。 しかし、事に当たっての問題は、一行のほとんどが戦争の経験が無かったので、誰が攻撃の指揮を執るかということだった。ちょっとした議論の後でクレサップに頼もうということになった。クレサップは一行から24kmほど上流におり、彼らの後を追ってケンタッキーに入ろうとしていた。また戦闘の経験もあった。クレサップが呼びにやられて直ぐに一行の元にやってきた。また作戦の議論が続いた後で、クレサップは、ショーニー族=オハイオ同盟が確かに敵対的ではあるが、戦争が避けられないと意思表示したわけではない、と言って攻撃を思い止まらせた。クレサップはさらに、作戦を実行すれば疑いもなく成功するだろうが、確実に戦争に繋がり、その責を取らされることになるとも言った。その代案としてクレサップは、ホィーリングに戻って数週間成り行きに注視し、事態が収まればケンタッキーへの旅を再開するという提案をした。一行は同意した。 一行がホィーリングに着くと、町全体が大騒ぎになっており、インディアンの襲撃から生き残った者達は恐慌を来して、インディアンの野蛮行為に屈服したことと失ったものについて語った。女子供の生命を危ぶんだ周辺の白人入植者が町の防衛のために集まり、クレサップの周りには戦おうという意志のあるもので脹れ上がった。この集団が到着したという知らせがピット砦に届けられ、砦の指揮官ジョン・コノリー大尉は、周辺のインディアン部族にその意図をはっきりするよう伝言を送ったので、ホィーリングに数日留まっているよう伝えてきた。これに対する返事としてコノリーが言う通りにするという伝言が発せられたが、それがピット砦に届く前に、コノリーからの2度目の伝言が入った。その内容はクレサップに宛てて、ショーニー族=オハイオ同盟が戦争をするつもりがあるという合図を送ってきたというものだった。 4月26日に協議集会が開かれ、クレサップがコノリーの伝言を聴衆に読み上げると、戦争が宣言された。次の日、インディアンのカヌーが川で見かけられたので、パイプ・クリークを24km下って追い掛けてみると、インディアンに遭遇し戦闘になった。双方に数人の負傷者が出た。さらに次の日、クラークの一行はパイプ・クリークでの攻撃に対して報復が予測されるので、ケンタッキーに進むという当初の計画を中止した。クラーク隊はクレサップ隊と合同でレッドストーン・オールド砦のクレサップの本拠に向かった。 ハンソン大尉の日記より(ハンソンは測量師であり、この日、仕事場に行く途中でポイント・プレザントに滞在していた。ハンソンは仲間と共にカノーハ川をカヌーで下っていた数日前にカノーハ・チェロキー族からオハイオ・インディアンが戦いの道にいたということを聞きこれを確認する知らせを受け取った。情報源は川を行き来する地元の白人だった。) 4月(原文のまま)20日。我々はカノーハ川河口に向かって26マイル進んだ。到着すると様々な身なりの人々26人がいた。土地を耕す人がおれば、測量を行う者もいた。彼らは異口同音にインディアンのことを話した。彼らの中の一人がインディアンの言葉を解したので、フロイド氏と他の測量士が同行を申し出たが、彼は拒み、我々には頭の皮に気をつけるよう告げた。我々は河口から7マイルを切るところに盆地を見つけ、そこが奥行きが20マイル、川岸の南は6マイルの幅があって良い土地だと教えられた。我々が人々に会った北の端は砦に向いているようであり、私の考えではそこは他の盆地の場合とは異なり氾濫はしないと見た。フロイド氏と他の測量士はここで人々に歓待された。
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