ガスコインの調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 01:54 UTC 版)
「エリザベス・キャニング」の記事における「ガスコインの調査」の解説
すべての人が評決に満足したわけではなかった。公判裁判官のサー・クリスプ・ガスコインと裁判官席の彼の同僚らの一部は、キャニングの話をとてもありそうもない、と判断した。ガスコインは、キャニングの支持者らにうんざりしていたし、彼らは裁判所の外では証人らが証言するのを妨げていたし、彼は特にメアリー・スクワイアズに同情し、彼女を「哀れなひと」("the poor creature")と名付けた。当時52歳でガスコインは、或る裕福な外科医の娘と結婚する前に、ハウンドディッチのビール醸造者として生活を始めていた。彼は庶民のなかから醸造会社の主(Master of the Brewer's Company)になり、その後、ヴィントリー区(Vintry Ward)のアルダーマン、シティー・オヴ・ロンドンの州長官(Sheriff of London)を務め、王にアドレスをプレゼントしたのち(after presenting an address to the king)ナイト爵を授けられていた。彼はその都市の孤児らのために議論していたし、エセックスではその慈悲行為で知られていたし、そこに大地所を所有していた。 ガスコインはすぐに個人的な調査を始め、アボッツビルの英国国教会の大臣(Anglican minister)ジェームズ・ハリス(James Harris)あてに手紙を書いた。彼は、ジョージ・スクワイアズが見つけた目撃者3人が「この悲惨なオブジェクトに代わって偽誓するために」("to foreswear themselves on behalf of this miserable object")それまで旅行することはありそうにない、と考え、そしてハリスは失望しなかった。師はギボンズの証言を裏づけることができ、エンフィールド・ウォッシュからじゅうぶんに離れたスクワイアズを見たと主張できる新証人らを提供することができた。ガスコインもまた、キャニンギットの一部はこの少女の真実性を疑い、彼をわざと困らせるために諸事件の彼女版で共謀していた、と考えた。彼は、これは公務員に対する政治的攻撃だ、と考え、問題をこのままにしておくことを拒否した。彼は、犠牲者メアリー・スクワイアズに対する見かけ上の思いやりと、彼女の告発者エリザベス・キャニングの欺瞞に対する怒りとを比較することで、自分の活動を正当化したが、しかし、彼の熱意は一部は、当時の態度に影響された。彼は、キャニンギットの行動がその低い地位には不適切だと考え、アルダーマン・チッティ(Alderman Chitty)やハリス師(Reverend Harris)のような人々の保証にさらに感銘を受けたが、彼らは紳士や公の支持者としてもっと信頼できると推定された。 裁判官席についているガスコインの同僚ガンドリー裁判官(Mr Justice Gundry)は、ドーセットの州長官代理(Undersheriff)あてに手紙を書いていたし、州長官代理はジョン・ギボンズ(John Gibbons)とウィリアム・クラーク(William Clarke)を知っていた。州長官代理は返事で、彼らが「それが事実でなければ証言しなかっただろう」("would not have given evidence had it not been true")、と主張した。クラークはルーシー・スクワイアズと関係があったかもしれないし、そして彼は、自分はリッジウェイのスクワイアズの家に滞在した、と主張した。アボッツベリーの、教区委員ら(churchwardens)、救貧委員ら(Overseers of the Poor)、学校長1人、そして十分の一税徴収人(tithing man)1人をふくむ、居住者ら15人は、スクワイアズは1月にドーセットにいた、彼らの証人らが信頼できる男である、と誓った。さらにアボッツベリーの男6人が20マイル (32 km)を歩いて、隣人らの証言を裏づける宣誓供述書に署名した。 フィールディングとガスコインはそれぞれ、事件について矛盾したパンフレットを発行していたが、しかしそれは、スクワイアズおよびウェルズの刑事訴追において重要な、ヴァーチュー・ホールの宣誓証言であったし、これはガスコインの調査の中心をなすようになった。ホールは投獄するぞと脅されながらフィールディングに宣誓証言をしていたし、偶然グラッブ・ストリートの作家ジョン・ヒル(John Hill)が、彼女は自責の念を示した、と治安判事から聞いたとき、彼は積もり重なる恨みを晴らす好機を与えられた。著名な新聞コラム『The Inspector』の感嘆すべき筆者で作家であるヒル(Hill)は、特にフィールディングの事件において特にそのような、仲間の数人とつまらぬ争いをしていたし、フィールディングは「この『丘』はほんの『ごみの山』にすぎず、ずっと前から土で平らにされていた」("this hill was only a paltry dunghill, and had long before been levelled with the dirt")と述べて、『Covent Garden Journal』で議論を閉じていた。 ホールは、キャニンギットの支援を受けて、そのときまでにゲートハウス刑務所にとどまっていたが、どんな罪でもまだ訴えられていなかった。ヒルはすぐに自分の懸念をガスコインに伝え、ガスコインはその若い女を呼びにやった。キャニンギットの派遣部隊を伴った彼女の答えは、最初は言質をあたえなかったが、しかし彼女は、ひとたびキャニングの友人らから孤立すると、すぐにガスコインに、自分は偽証をした、と認めた。彼女はポールトリー・コンプター(Poultry Compter)に収容され、キャニンギットはそこで彼女を支援し続け、ついに彼らは「特定の人物たちのみ」("particular persons only")が訪問を許可されていることを知った。ホールは、3月7日にふたたびガスコインとキャニング双方の支持者らから尋問を受けた。彼女は、なぜ法廷に嘘をついたのかと訊ねられて、こう言った「わたしは、ミスタ・フィールディングのところにいたとき、最初は真実を語ったのに、それは真実ではない、と言われました。わたしは恐怖に襲われ、そして真実を語らないかぎり、ニューゲートに送られ、重罪犯として訴追されるぞと脅されました。」("when I was at Mr Fielding's I at first spoke the truth, but was told it was not the truth.I was terrified and threatened to be sent to Newgate, and prosecuted as a felon, unless I should speak the truth.")彼女は支援者の一人から、あなたはまだ嘘をついているのか、と訊ねられたが、しかし、彼女の回答は結論がはっきりしないと見なされたし、そして彼女が尋問されたほとんどのことを認め、そして否定したため、双方は彼女を厄介者と見なし始めた。
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