エンフィールド・ウォッシュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 01:54 UTC 版)
「エリザベス・キャニング」の記事における「エンフィールド・ウォッシュ」の解説
チッティは令状を発行したし、2月1日に、キャニングの友人らは、彼女をエンフィールド・ウォッシュ(Enfield Wash)に連れて行った。キャニングの支援者らは、彼女の体調が悪いにもかかわらず、彼女の捕獲者らの身元と彼女が捕らえられたと主張する部屋を特定したいと望み、彼女がそれ以前に死ぬかもしれないと心配し、彼女を移動させる危険を冒したのである。ウィントルベリー、スカラット、およびジョセフ・アダムソン(隣人)が、馬に乗って最初に到着した。彼らは令状官(warrant officer)と平和官(peace officers)数人に会い、スザンナ・ウェルズが姿を現わすのを待った。ウェルズの家は、大工の店、肉屋、および酒場をふくむ、さまざまな役目を兼ねていた。この老女は屋内で動物たちを飼い、ときには下宿人をおいた。彼女は二度、未亡人になっていた。最初の夫は大工で、2番目の夫は窃盗罪で絞首刑になっていた。彼女もまた1736年に偽証罪で投獄されていた。最初の夫との娘サラ・ハウィット(Sarah Howit)は、約2年間そこに住んでいた。ハウィットの兄弟ジョン(John)も父親と同様に大工で、近くに住んでいた。 午前9時ごろ、ウェルズが家に入ったとき、官吏らはすぐに動いて建物を確保した。中には、ウェルズ、メアリー・スクワイアズ(Mary Squires)という名前の老女、彼女の子供たち、ヴァーチュー・ホール(Virtue Hall)、そして彼らがウェルズの娘だと思った女1人がいた。別の女、ジュディス・ナトゥス(Judith Natus)が屋根裏から連れ降ろされ、残りの人とともに尋問された。令状官は、屋根裏を探して驚いた。そこは、キャニングが説明した部屋に似ていなかったし、また彼女が窓から跳び降りた証拠を見出せもしなかったのである。賃借したコーチ馬車でそのときまでに到着していた一行の残りも、同様に驚いた。 キャニングが、母親および他の2人とともにシェイズ馬車で到着していたが、アダムソンによって家の中に連れ込まれた。そこで彼女は、メアリー・スクワイアズを自分のステイを断ち切った女だ、と特定し、バーチュー・ホールとスクワイアズの娘と推定される女性とがその時に居あわせた、と主張した。それから、キャニングは階上に連れて行かれ、そこで彼女は、この屋根裏が自分が監禁されていた部屋だ、と特定した――ただしそこには彼女が思い出す干し草以外なかったけれども。窓をふさいでいる複数の板は、つい最近そこに固定されたように見えた。彼らに不利なこのような有罪を証明する証拠とともに、容疑者らは、近くの治安判事メリー・ティシェメーカー(Merry Tyshemaker)のもとに連れて行かれたし、彼はキャニングのみを調べ、それからウェルズの家からの人々を調べた。スクワイアズとウェルズは、前者はキャニングのステイを除去したために、後者は「『風紀紊乱箇所』を営ん」("keeping a disorderly House")だために、公判に付された。ジョージ・スクワイアズとヴァーチュー・ホールは、両者ともに誘拐との関与を否定し、キャニングと彼女の支援者らは帰宅を許された。
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