とつかわのおおおどりとは? わかりやすく解説

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十津川の大踊

名称: 十津川の大踊
ふりがな とつかわのおおおどり
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 十津川村小原武蔵西川大踊保存会 小原保存会武蔵保存会西川保存会
指定年月日 1989.03.20(平成1.03.20)
都道府県(列記): 奈良県
市区町村(列記): 吉野郡十津川村
代表都道府県 奈良県
備考
解説文:  奈良県南端、奥吉野十津川村伝承されてきているもので、現在は同村の字小原、字武蔵西川地区(字永井【ながい】、重里【しげさと】など)の三地区で、それぞれ地区ごとに毎年八月の盆に、学校の庭などで踊られる。地区老若男女が、浴衣などを着て美しい房を付けたバチ太鼓打ち、また切子灯籠下げた笹竹持ったりして盛大に踊る。大がかり風流踊一部残ったもので、同村にある玉置【たまき】山という霊山巡礼する僧侶信者によって伝承されてきたものともいわれている。なお、曲目としては本曲の「大踊」のほか、近年は踊られないが「十三四五【じゆうさんしご】」「鎌倉踊」「お城」なども伝えていた。
 小原では、八月一日からナラシ練習)を始め七日盆でいったん区切りをつけ、さらに本格的に練習し十三日の大盆に、小学校の庭で踊られている。もとは寺の堂内踊ったというが、男女方形並び前列男性太鼓持って並び後ろ女性が扇を手にして並ぶ。また、房で飾った切子灯籠笹竹につけたものを持つ者も加わる。太鼓打ちは、白・赤・緑に染め分けた長い房の付いたバチ太鼓打ちながら、女性は扇を振りながら踊る。太鼓を持つ太鼓持ちの列と、バチ持った太鼓打ちの列に分かれても踊られる。農作業服装に笠で顔を隠すなどの仮装をして踊りに加わる者もいる。かつては八朔新暦九月一日)にも踊ったという。
 武蔵でも同様に準備進め十四日夕刻に、元小学校校庭で踊られる。やはり、かつては寺の堂内で踊られた。この地区でも男性太鼓持ち、房飾り付けたバチ太鼓打ちながら踊り女性タスキをかけて扇を手にし、さらに笹竹切子灯籠吊り下げた灯籠持ちが列を作って横に並ぶ。歌は男女掛合で歌う。最後内側太鼓持ち、つぎに太鼓打ち、扇を持った女性という三列の輪踊りになるなど相当複雑な形式持っている歌詞に「なむあみだぶつさあおどらいで」という言葉があり、念仏踊り系譜をひくともいわれている。
 西川地区は、同村内を流れ西川川筋で、かつては大字ごとに盛んに踊りが行われていたが、大正初めころから、同川筋永井周辺の人々集まり共に踊るようになった今は永井重里人々中心に保存会作られ踊り伝承されている。盆の十五日に中学校校庭で踊られるが、もとは河原で、さらに以前は寺の堂内で踊られたという。盆りはヨリコイリハカケイリ演じられるヨリコは、男性は白い房を付けたバチを持つ太鼓打ち太鼓両手に持つ太鼓持ち分かれ横隊となり、その後ろに女性両手に扇を持って踊る。イリハでは、男性は胸に太鼓吊り下げ、赤・白の長い房の付いたバチ振りながら太鼓打ちつつ踊る。カケイリでは、ヨリコと同じ形態で踊るが、切子灯籠吊り下げた灯籠持ちが加わる。西川では、ヤグラ設けず方形一団となったまま、場所を移動する形式である。またヨリコ歌詞変えて雨乞いの時も踊ったとされる
 十津川村大踊りは、風流踊り典型例一つとして芸能史注目すべき点が多い。
 よって重要無形民俗文化財指定し、その保存図ろうとするものである

十津川の大踊

名称: 十津川の大踊
ふりがな とつかわのおおおどり
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 武原保存会小原保存会西川大踊保存会
選択年月日 1974.12.04(昭和49.12.04)
都道府県(列記): 奈良県
市区町村(列記): 吉野郡十津川村武蔵吉野郡十津川村小原吉野郡十津川村西川
代表都道府県 奈良県
備考 所在地同一都道府県内のもの(このデータ種別1から移行しています)
解説文:  奈良県南端、奥吉野十津川村伝承されてきているもので、現在は同村の字小原、字武蔵西川地区(字永井【ながい】、重里【しげさと】など)の三地区で、それぞれ地区ごとに毎年八月の盆に、学校の庭などで踊られる。地区老若男女が、浴衣などを着て美しい房を付けたバチ太鼓打ち、また切子灯籠下げた笹竹持ったりして盛大に踊る。大がかり風流踊一部残ったもので、同村にある玉置【たまき】山という霊山巡礼する僧侶信者によって伝承されてきたものともいわれている。なお、曲目としては本曲の「大踊」のほか、近年は踊られないが「十三四五【じゆうさんしご】」「鎌倉踊」「お城」なども伝えていた。
 小原では、八月一日からナラシ練習)を始め七日盆でいったん区切りをつけ、さらに本格的に練習し十三日の大盆に、小学校の庭で踊られている。もとは寺の堂内踊ったというが、男女方形並び前列男性太鼓持って並び後ろ女性が扇を手にして並ぶ。また、房で飾った切子灯籠笹竹につけたものを持つ者も加わる。太鼓打ちは、白・赤・緑に染め分けた長い房の付いたバチ太鼓打ちながら、女性は扇を振りながら踊る。太鼓を持つ太鼓持ちの列と、バチ持った太鼓打ちの列に分かれても踊られる。農作業服装に笠で顔を隠すなどの仮装をして踊りに加わる者もいる。かつては八朔新暦九月一日)にも踊ったという。
 武蔵でも同様に準備進め十四日夕刻に、元小学校校庭で踊られる。やはり、かつては寺の堂内で踊られた。この地区でも男性太鼓持ち、房飾り付けたバチ太鼓打ちながら踊り女性タスキをかけて扇を手にし、さらに笹竹切子灯籠吊り下げた灯籠持ちが列を作って横に並ぶ。歌は男女掛合で歌う。最後内側太鼓持ち、つぎに太鼓打ち、扇を持った女性という三列の輪踊りになるなど相当複雑な形式持っている歌詞に「なむあみだぶつさあおどらいで」という言葉があり、念仏踊り系譜をひくともいわれている。
 西川地区は、同村内を流れ西川川筋で、かつては大字ごとに盛んに踊りが行われていたが、大正初めころから、同川筋永井周辺の人々集まり共に踊るようになった今は永井重里人々中心に保存会作られ踊り伝承されている。盆の十五日に中学校校庭で踊られるが、もとは河原で、さらに以前は寺の堂内で踊られたという。盆りはヨリコイリハカケイリ演じられるヨリコは、男性は白い房を付けたバチを持つ太鼓打ち太鼓両手に持つ太鼓持ち分かれ横隊となり、その後ろに女性両手に扇を持って踊る。イリハでは、男性は胸に太鼓吊り下げ、赤・白の長い房の付いたバチ振りながら太鼓打ちつつ踊る。カケイリでは、ヨリコと同じ形態で踊るが、切子灯籠吊り下げた灯籠持ちが加わる。西川では、ヤグラ設けず方形一団となったまま、場所を移動する形式である。またヨリコ歌詞変えて雨乞いの時も踊ったとされる
 十津川村大踊りは、風流踊り典型例一つとして芸能史注目すべき点が多い。
 よって重要無形民俗文化財指定し、その保存図ろうとするものである



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