徳之島カムィヤキ陶器窯跡とは? わかりやすく解説

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徳之島カムィヤキ陶器窯跡

名称: 徳之島カムィヤキ陶器窯跡
ふりがな とくのしまかむぃやきとうきかまあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 鹿児島県
市区町村 大島郡伊仙町阿三伊仙
管理団体
指定年月日 2007.02.06(平成19.02.06)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日 平成21.02.12
解説文: 徳之島カムィヤキ陶器窯跡は、九州から南へ約400kmに位置する徳之島所在する大規模な窯跡である。徳之島琉球列島のうち奄美大島沖縄本島の間に位置する比較大きな島であり、窯跡はその南部海岸から約3kmほど離れた標高170から200m丘陵分布する
カムィヤキは須恵器類似する色調・製作技法で、窯跡発見以前から南島地域一円グスクなどの遺跡から出土することが知られており、「類須恵器」などと称され注目されていた。昭和58年1983)、伊仙町阿三の亀焼地内において、県営圃場整備事業伴うため池建設の際、はじめて窯跡発見された。カムィヤキの名称は、「亀焼」を地元で「カムィヤキ」と称することに由来する急遽実施され発掘調査により、二つ地区で窯10数基が確認された。ため池部分の窯は地下保存されそれ以外範囲県史跡に指定された。その後平成8年度から16年度まで、伊仙町教育委員会による窯跡悉皆的な分布調査と発掘調査が行われた。その結果窯跡東西約1.5km、南北800m範囲に、7支群に分かれて分布することが判明した各支群は複数地区から構成され各地区にさらに集中地点がある。詳細な窯の数は不明であるが、現状では100基ほどと推定される
発掘され事例によれば、窯体は平面いちじく形を呈し全長4・5m、幅1mほどの大きさ地下窖窯である。すぼまった燃焼部に焚き口取り付き、窯尻には煙道設けられている。床面傾斜30から40度ほどあり、床面に焼台が設置されている。製品還元焔焼成で、表面青灰色、器肉は赤褐色呈し堅緻なものが多い。器種は壺・甕・鉢・碗・水注の5種で壺が量的に多い。製作技法は、輪積みと叩きによる成形、ナデ・ヘラケズリ・ハケ目などの調整を行う。壺を中心にヘラ波状文を施す。こうした製作技法焼成色調朝鮮半島無釉陶器類似するまた、製品焼成や製作技法により、おおむね二時期に大別され新し時期東方の支群を中心に生産されたと推測される
カムィヤキの生産され時期は、製品中国製白磁玉縁碗を模したものがあること、消費遺跡で伴出土する中国製陶磁器九州産石鍋の年代などから、11世紀後半ころから14世紀前半ころと推定される流通した範囲は、これまでのところ先島諸島を含む琉球列島のほか九州南部にも及び、その距離は南北1000km以上に達する。
琉球列島における陶器生産はこのカムィヤキに始まる。カムィヤキの生産開始期は、渥美常滑などの中世陶器ともほぼ同時であり、その意味中世陶器ともいえる。また、琉球列島のこの時期は、新たに政治・社会形成段階として歴史上重要であるグスク時代に当たるが、全般的に文献史料乏しい。この様中において、カムィヤキは朝鮮半島系の生産技術広域にわたる生産・流通実態など、当時の社会経済在り方を知る上で欠くことのできない遺跡であり、全体保存状況良好である。よって、史跡指定し保護図ろうとするものである
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