ため池・河川など
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大字桶狭間は開析の進行した丘陵地であるため集水面積が狭く、灌漑用水を得るためにため池を多く築造してきた歴史を持つ。1961年(昭和36年)に愛知用水が完成し、農業用としての役割を終えたため池は、防火用水の水源として利用されたり、水辺公園として整備される一方で、埋め立てられて住宅地などに転用された池も少なくない。 大池 大池(おおいけ)は名古屋市緑区桶狭間(旧有松町大字桶狭間字寺前)にあるため池で、20,552平方メートル(2.06ヘクタール)の面積および41.2ヘクタールの流域面積を持つ。尾張藩撰地誌である『寛文村々覚書』(寛文年間(1661年 - 1673年))にも「大池」とあるが、大規模なため池は室町時代以前に造営されることがまれであることから、大池も江戸時代初期に築造されたものと考えられている。 地蔵池 地蔵池(じぞういけ)は、名古屋市緑区桶狭間北2丁目(旧有松町大字桶狭間字幕山)にあるため池で(北緯35度3分30.9秒 東経136度58分11.7秒 / 北緯35.058583度 東経136.969917度 / 35.058583; 136.969917)、『寛文村々覚書』に示すところの「有松道池」、『天保十二年丑年五月知多郡桶廻間村圖面』に示すところの「鳴海道池」である。池の北岸には地蔵堂があり、現在の地蔵池の名はこの地蔵堂に依っている。 大芝池 大芝池(おおしばいけ)は名古屋市緑区桶狭間南(旧有松町大字桶狭間字嵐廻間)にある0.5ヘクタールほどのため池である(北緯35度2分44.5秒 東経136度58分11.2秒 / 北緯35.045694度 東経136.969778度 / 35.045694; 136.969778)。『寛文村々覚書』や『天保十二年丑年五月知多郡桶廻間村圖面』では「おうし廻間池」とあり、現在の「おおしば」は、江戸時代にこの地にあった字「おうしばさま」の古名が縮まったものといわれる。 西ノ池 西ノ池(にしのいけ)は名古屋市緑区有松町大字桶狭間字牛毛廻間にあるため池である(北緯35度3分29.4秒 東経136度57分59.7秒 / 北緯35.058167度 東経136.966583度 / 35.058167; 136.966583)。『天保十二年丑年五月知多郡桶廻間村圖面』(1841年(天保12年)、徳川林政史研究所蔵)などには「牛毛廻間池」と記されるが、明治時代に至って西ノ池と呼ばれるようになる。 伊勢池 伊勢池(いせいけ)は名古屋市緑区桶狭間上の山(旧有松町大字桶狭間字上ノ山)にある0.3ヘクタールほどのため池で(北緯35度2分52.4秒 東経136度58分26秒 / 北緯35.047889度 東経136.97389度 / 35.047889; 136.97389)、東岸は大府市との境界にほぼ沿っている。『寛文村々覚書』には「近崎道池」とあって、池のすぐ東を南北に走る大府市道がかつて近崎道(ちがさきみち)であったことに由来すると考えられる。また、かつて村から伊勢講で参拝に出かける人々がここで禊を行ったことから、伊勢池と呼ばれるようになる。 権平谷池 権平谷池(ごんべいだにいけ)は名古屋市緑区有松町大字桶狭間字権平谷にあるため池である(北緯35度3分25.5秒 東経136度57分52.4秒 / 北緯35.057083度 東経136.964556度 / 35.057083; 136.964556)。 東ノ池 東ノ池(ひがしのいけ)もしくは東池(ひがしいけ)は名古屋市緑区桶狭間(旧有松町大字桶狭間字樹木)にあるため池で、15,338平方メートル(1.53ヘクタール)の面積および16.3ヘクタールの流域面積を持つ。『寛文村々覚書』には「石池」とあり、東(ノ)池と呼ばれるようになったのは明治時代以降である。豊明市および大府市との境界付近にあり、池の北岸ではかつて近崎道と大脇道が交わり、現在では池の南岸で名古屋市道桶狭間勅使線から名四国道北崎インターチェンジへと向かう大府市道が分岐しており、交通の要所にあるのは昔も現在も変わっていない。なお、灌漑用水利としてはすでに利用されていない。 二ツ池 二ツ池(ふたついけ)は名古屋市緑区桶狭間神明(旧有松町大字桶狭間字神明廻間)の桶狭間公園にあるため池で(北緯35度2分14.4秒 東経136度58分2.2秒 / 北緯35.037333度 東経136.967278度 / 35.037333; 136.967278)、8,767平方メートル(0.88ヘクタール)の面積および12.2ヘクタールの流域面積を持つ。『寛文村々覚書』では「森脇池」とあり、『尾張徇行記』(1808年(文政5年))には「神明廻間池」とあって、二ツ池と呼ばれるようになったのは明治時代以降である。一方、『天保十二年丑年五月知多郡桶廻間村圖面』などでは武路付近に「二ツ池」が見られるが、これは当池とはまったくの別物で、明治時代には「摺鉢池」などと呼ばれていたが、後年の区画整理の際に消滅している。 唐池 唐池(からいけ)は名古屋市緑区桶狭間森前(旧有松町大字桶狭間字又八山)にあるため池で(北緯35度2分45.6秒 東経136度57分50.7秒 / 北緯35.046000度 東経136.964083度 / 35.046000; 136.964083)、『天保十二年丑年五月知多郡桶廻間村圖面』に示すところの「から池」である。小さく浅いため池で、晴天が続くとすぐに空になってしまうことに由来するという。 鞍流瀬川 鞍流瀬川(くらながせがわ)は名古屋市緑区から大府市にかけて流れる境川水系の川である。古くは井桁川といい、『天保十二年丑年五月知多郡桶廻間村圖面』は源流が北方の二ツ池(桶狭間神明にある二ツ池とは別物)にあったことを示しているが、後年の区画整理の際に大池付近まで埋め立てられている(二ツ池もこの時に埋め立てられている)。現在では大池に端を発し、南西に向かって流れながら大府市域を縦断し、やがて石ヶ瀬川に合流する。「鞍」は川の両端が崖でせり上がり鞍のような形状をしている様子、「瀬」は浅い川底であることを示しているといわれる。また、桶狭間の戦いの際、血潮に染まった流れの中で誰のものとも知れない鞍が浮かんでいたことから名付けられたともいう。 なお、名古屋市営桶狭間住宅の西側、名古屋市道森下線に沿って南進する小川は中溝川(なかみぞがわ)と呼ばれる支川で、大字桶狭間の南端で本川と合流する。 愛知用水 愛知用水(あいちようすい)は、木曽川上流に端を発し、愛知県下の濃尾平野南東部・知多半島の丘陵地帯を潤す人工用水路である。1955年(昭和30年)から1961年(昭和36年)にかけて愛知用水公団により施工され、農業用水として利用されてきたほか、水道用水・工業用水・発電など、複数の用途も満たしている。大字桶狭間における用水の幹線水路はおおむね東から西へ流れており、豊明市栄町南舘より桶狭間北2丁目地内に入り、地蔵池ではサイフォン施設によって流入・流出、そのまま大高町方面に向かう。 大池(2012年7月、北緯35度3分11.3秒 東経136度58分13.2秒 / 北緯35.053139度 東経136.970333度 / 35.053139; 136.970333)。 地蔵池(2012年9月、北緯35度3分29.1秒 東経136度58分11.7秒 / 北緯35.058083度 東経136.969917度 / 35.058083; 136.969917)。 大芝池(2012年10月、北緯35度2分44.7秒 東経136度58分9.1秒 / 北緯35.045750度 東経136.969194度 / 35.045750; 136.969194)。 伊勢池(2012年10月、北緯35度2分51.4秒 東経136度58分25.7秒 / 北緯35.047611度 東経136.973806度 / 35.047611; 136.973806)。 東ノ池(2012年9月、北緯35度2分57.1秒 東経136度58分24秒 / 北緯35.049194度 東経136.97333度 / 35.049194; 136.97333)。 二ツ池(2009年4月、北緯35度3分12.3秒 東経136度58分4.8秒 / 北緯35.053417度 東経136.968000度 / 35.053417; 136.968000)。 桶狭間上の山付近を流れる鞍流瀬川(2012年10月、北緯35度2分43.1秒 東経136度58分1.6秒 / 北緯35.045306度 東経136.967111度 / 35.045306; 136.967111から上流方面を望む)。
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