これ以外の見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 01:33 UTC 版)
ストーンヘンジの名声は、その考古学的重要性や、古代の天文学的役割によるものだけではなく、訪れた人々に無形の影響、クリストファー・チッペンデールが「この場所の肉体的感覚」と記した、合理的・科学的な観点を超越した何かを与えるところにある。このことが、古代人の大いなる業績の象徴として、そして考古学の主流を今なお打ち負かしている何かの象徴としてのこの遺跡の霊的な役割、および単なる科学的な説明ではそれを正当化できないという信条をさまざまなグループに示した。 この遺跡が女性器を表しているという理論を立てている者もいる(オブザーバー紙の記事)。また、ヒールストーンがファルスの型であるという者もいる。この場所におけるUFOの目撃情報があったことから、エイリアンの着陸地点であるという説も現れた(しかし恐らくはウォーミンスター近傍の国防施設の関連がある)。アルフレッド・アトキンスは、この遺跡から他の遺跡へつながる3本のレイ・ラインを発見した。別の者は、数秘学、ダウジング、または土占いを使って、この遺跡の力と目的に関する多様な結論を導き出している。ニュー・エイジとネオ・ペイガンの信仰では、ストーンヘンジを聖なる場所と見ているが、その考え方は考古学的遺跡、観光拠点、またはマーケティングの道具として考える主流派の観点と対立する可能性がある。Post-processualistの考古学者は、ストーンヘンジを計算機や観測所として扱うこと は、技術で動く我々の時代の現代的概念を無理に過去に当てはめることであると考えるかもしれない。西欧ではめったに用いられない、考古学上の土着民の役割ですら、この遺跡ではウェールズのナショナリズムの象徴としての新たな機能を持たせられた。 数多くの正統派・非正統派が主張するさまざまな意味と解釈があるという観点で、ストーンヘンジの「所有権」の重要さはこの数十年の間にますます顕著になった。「神聖遺跡異議申し立てプロジェクト」の研究者ジェニー・ブレインとロバート・J・ウォリスは、「英国的なもの」の象徴としての今日ますます拡大するストーンヘンジの重要性を示す非常に幅広い見解を指摘し、また、考古学や遺跡について訓練されていない数多くの人々によって過去への関心が増していることを指摘した。多くの人にとってストーンヘンジ等の古代遺跡は、彼ら自身の思い出を秘め、彼らが巡る季節を記すにつれて添う「生きている風景」の一部になっているのである。ストーンヘンジをめぐる今日的神話には、豆畑の会戦や前回のフリー・フェスティバルが含まれる。ストーンヘンジの持つ意味合いは多様である。今日、イングリッシュ・ヘリテッジ財団の学芸員は、夏至、冬至、春分、秋分の日には「管理されたオープンアクセス」としているが、その日がどの日に当たるかには議論がある。ブレインとウォリスは、アクセスに関するこの問題は、遺跡の物体としての存在だけでなく、過去の解釈、「新しい土着民」の正当性、現代における異教徒(ペイガン)による利用、およびこうした異なる観点が、道路、トンネル、風景に対する公衆の注意を引くのに中心的役割を果たしたことに関連していると主張している。 2013年3月9日、イギリスロンドン大学ユニバーシティ・カレッジのマイク・パーカー・ピアソン(英語版)教授の率いるチームは、発掘された人骨や家畜の分析から、ストーンヘンジの原型は有力一族の墓地として紀元前3000年頃に建造され、紀元前2500年頃にはブリテン島の各地(遠くは1000km以上離れたスコットランドのオークニー諸島)から冬至の頃に多数の人々が一堂に会する大規模な祝典の会場として使用されていた可能性があると発表した。まずダーリントン・ウォールズ (Durrington Walls)でご馳走が並ぶ盛大な宴が催され、そして参加者はアベニューを通って最も重要な墓地ストーン・ヘンジに向かい、そこで死者たちに敬意を払い、一直線に並ぶ冬至の日没を拝んだと考えている。
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