おおともしいせきとは? わかりやすく解説

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大友氏遺跡

名称: 大友氏遺跡
ふりがな おおともしいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 大分県
市区町村 大分市顕徳町
管理団体
指定年月日 2001.08.13(平成13.08.13)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成20.07.28
解説文: 大分市街地の南東部大分川河口部付近顕徳町一帯は,戦国時代北部九州一円に覇を唱えた大大名の大友氏守護所置いた地で,豊後府中府内呼ばれた大友氏は,相模国本貫地とする鎌倉御家人後裔で,16世紀中頃から後半にかけて最盛期迎えた21代の宗麟はキリシタン大名として著名で,南蛮貿易積極的に参画し,北部九州6か国を支配したが,天正14年から15年(1586~7)に島津氏侵攻を受け,22代の義統は朝鮮陣中戦線離脱理由文禄2年(1593)に豊臣秀吉によって除封された。
 戦国時代大友氏城下町描いた近世成立の「府内古図」と明治期地籍図遺称地名などとの照合によって推定復元された「戦国時代府内復元想定図」(『大分市史』)によれば豊後府内範囲東西0.7km南北2.2km壮大な都市域を有する。その中心となる大友氏館跡は,北東部南側歪み南東部南側張り出す一辺200m不整方形呈する推定される大分市実施する区画整理事業に伴う移転代替地として,大友氏館跡比定地一部予定されたために,大分市教育委員会平成10・11年度に発掘調査実施したところ,南東部において東西83m,南北16m以上の長靴状の平面形を呈する巨岩景石配した庭園遺構検出した
 また,西側外郭推定付近計画されマンション建設に伴う発掘調査では,16世紀前半土塁遺構後半大規模な整地層,掘立柱建物跡などが検出された。北辺西隅部の発掘調査では6本の溝跡が検出され,溝跡は2本が一対となる築地跡と推定され順次北側拡張されている。中心部発掘調査では,15世紀から16世紀遺物を含む1m以上の整地層と,径1m強の根固め石を詰めた土坑が7基検出された。2回から3回切り合い認められ大型建物跡存在推定される
 出土遺物特徴は,(1)大量土師器皿,(2)茶器(3)館跡遺構年代よりも古い中国陶磁器,(4)華南東南アジア陶磁器出土などが挙げられる。(1)は出土遺物大半占め様々な儀礼饗宴使用されハレの器である。(2)(3)大友氏茶の湯文化家格の高さを示す。(4)は南蛮貿易によってもたらされ器物である。フロイスの『日本史』には,天正14年末から15年島津氏侵攻によって,府内焼亡壊滅した記されている。庭園遺構からの出土陶磁器かなりのものには,火熱受けた痕跡認められ,館が焼き払われ庭園破壊されたと推定される
 大友氏館跡北部九州西国戦国時代史の重要な中心地一つであり,方二町の室町幕府規範遵守する守護館典型を示すものである。よって史跡指定し保護図ろうとするものである
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  大分廃寺塔跡  大原幽学遺跡  大原廃寺塔跡  大友氏遺跡  大口筋  大吉山瓦窯跡  大和井



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