『人生』交響曲とは? わかりやすく解説

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『人生』交響曲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/06 01:43 UTC 版)

ピアノ協奏曲第3番 (チャイコフスキー)」の記事における「『人生』交響曲」の解説

交響曲第7番_(チャイコフスキー)」も参照 チャイコフスキーはかつてロシア皇族コンスタンチン大公次のように述べている。 「私は文字通りに、働かずには生きられないのです。ある仕事片付いてしまえば(略)すぐに新し仕事取りかかろうとする願望がわくのです。(略)このような状況では、新し仕事真の創造的な必然性によって生じるとは限りません。」 1889年11月までに、チャイコフスキー創作衝動はいよいよ激しくろうとしていた。交響曲第5番完成してから1年経っており、それ以後楽曲からも8ヵ月経っていた。チャイコフスキーコンスタンチン大公に、何か漠然とした標題による大規模な交響曲自分創作活動有終の美飾りたい長いこと切望していたのだと打ち明けている。その曲がどんなものになるかについて、事前発想いくつか書き留めたのは、1年半アメリカ演奏旅行から帰国する前だった。とはいえ、より重要なのは、チャイコフスキー大まかに構想した標題のである。 「この交響曲の(略)究極本質は、人生である。第1楽章は、仕事対す衝動情熱、それに自信短くなければならない挫折結果として最後の死)。第2楽章は愛、第3楽章落胆第4楽章は死(やはり短く)。」 それからの数ヶ月間、チャイコフスキーは『くるみ割り人形』と『イオランタ』を作曲しながら、交響曲人生』の細かい楽曲素材書き続けたが、いざ体系的な創作取りかかってみると、これらの多く以前楽想破棄された。使われるべき標題にしても同様であった。しかし、その他の素材作品素案とされた。進捗具合迅速で、1890年6月8日までに第1楽章終楽章スケッチされた。チャイコフスキー7月8月にかけて続き作曲片付けたい望んでいたが、残り部分作曲10月までもたついた。それでも11月4日には全曲スケッチ完成し、それから3日がかりで第1楽章再現部までオーケストレーション施された。 チャイコフスキーはすでにモスクワ2月慈善演奏会で、新作交響曲初演申し出ていた。だが、今一度中断余儀なくされてから、改めスケッチ見直してみると、全く興醒めした。甥のボブことヴラディーミル・ダヴィドフに宛てた1892年12月16日付け書簡において、「こいつはただ何かを作曲するためだけに書かれ代物だ。面白いところも共感を呼ぶようなところもまるでない」とこぼしている。「こいつは破棄して無かったことにする……きっと。」と付け加えてもいるものの、「この主題はまだ私の想像力を羽ばたかせる可能性がある」とも言っている。ただし、どのくらい可能性があるのかは、チャイコフスキー自身はっきりと分かってはいなかったのかもしれないすぐさまダヴィドフ返事よこした。非常に力強い言い回しチャイコフスキー驚いた1892年12月19日の手紙で、ダヴィドフはこう書いたのである。「僕も残念に思いますおじさんがその交響曲を、自分には醜く思えたというので、スパルタの子供たちがしたように崖から投げ捨ててしまったとはね。それでもその交響曲は、5番までの交響曲同じく、きっと天才仕事だったでしょうにね。」 チャイコフスキー変ホ長調交響曲断念したのは、交響曲にはどうしても必要だ感じていた内省欠いていて、人格交えていないと悟ったからだった。つまり、人生哲学や、創り手個人感情表現見当たらないということである。チャイコフスキーはこの交響曲作り続け気力を殺がれ、「無意味な和音と、何も表現しないリズムまとまり」と呼んだ。それでもダヴィドフ発言鼓舞されて、スケッチをすべて破棄してしまう代わりに再利用しようと思い立った。「変ホ長調交響曲」の音楽は、チャイコフスキー個人判断基準では、情緒的に何も言い表していなかったのだとしても、だからといってそれが無価値というわけではなかったのである。主楽想きわめて魅力的であり、巧みに展開され外向的である。このような主題耳をそばだてるように扱うことができる作曲家の手かかればとどのつまり結果は、音楽学者分析する値するものとなるのである。 より重要なのは、構想した標題基づいて新作交響曲書き上げるという考えチャイコフスキー放棄していなかったことである。変ホ長調交響曲は、骨折り損のくたびれ儲け終わったが、その後に『悲愴交響曲となったものを着想する上で影響力があった。 破棄した交響曲スケッチピアノ協奏曲転用するという考えチャイコフスキー初め言及したのは、1893年4月になってからである。チャイコフスキー7月5日ピアノ協奏曲作曲取りかかり、それから8日後に第1楽章完成させた。すぐに仕事終わったものの、チャイコフスキーはそれが満足できる仕事ではないと分かっていた。自筆譜の上に「お蔭様おしまい!」と書き込んだが、秋になるまでそのオーケストレーション着手しなかったからである。

※この「『人生』交響曲」の解説は、「ピアノ協奏曲第3番 (チャイコフスキー)」の解説の一部です。
「『人生』交響曲」を含む「ピアノ協奏曲第3番 (チャイコフスキー)」の記事については、「ピアノ協奏曲第3番 (チャイコフスキー)」の概要を参照ください。

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