『リバティーンズ革命』〜活動停止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 14:07 UTC 版)
「ザ・リバティーンズ」の記事における「『リバティーンズ革命』〜活動停止」の解説
ドハーティ釈放の日、バラーが門の前まで迎えに行き、2人は熱い抱擁を交わした。この晩、来ないと思われていたハッサールとパウエルも加わり、チャタムのクラブ「タップ・アンド・ティン」でドハーティ復活記念のギグを行った。NMEギグ・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。2003年12月の中頃、ロンドン・フォーラムで3日連続ギグを行い、全てソールド・アウトとなった。最終日の夜には、大勢のファンがステージへ上がってきた。続けて2004年3月、UKツアーを行う。 バニーに代わり、クリエイション・レコーズ創立者のアラン・マッギーがマネージャーとなった(のちにアラン・マッギーは、ダーティ・プリティ・シングスのマネージャーになった)。2ndアルバム制作のためにバーナード・バトラーとスタジオ入りするが、ドハーティとバトラーの関係がうまくいかず、すぐにやめてしまう。前年に公式リリースされたのは「ドント・ルック・バック・イントゥ・ザ・サン」だけであったにもかかわらず、NMEアワーズでベスト・ブリティッシュ・バンドに選ばれた。授賞式で「ドント・ルック・バック・イントゥ・ザ・サン」を披露。また、式でドハーティとバラーは、ジークフリート・サスーンの詩「Suicide in the Trenches」を共に暗唱した。 ミック・ジョーンズがプロデューサーに復帰し、スタジオ入りする。しかし、ドハーティのドラッグ癖が戻り、バラーとの関係が張り詰めたものになる。レコーディング初日に2人は大喧嘩をし、2人を喧嘩から引き離すためにセキュリティーが雇われた。ドハーティはリバティーンズの傍ら、友人のウルフマンとコラボレートし、シングル「フォー・ラヴァーズ」をリリース。全英7位を記録。バラーは、ウルフマンとドハーティのドラッグ癖を快く思わなかったが、B面にギターで参加した。アルバムのレコーディングを終えるとドハーティはミキシングとアフレコを他の者に任せて、スタジオから去ってしまう。ドハーティがまともな状態ではなく、レコーディングできたのはわずか10日間であった。2004年5月14日、ドハーティはドラッグ中毒を絶つため、プライオリーへ入る。しかし、すぐにドハーティはプライオリーから抜け出し、1度戻るが、1週間後の6月7日に再び抜け出した。 この間、バラーはウエスト・エンドで開く予定のクラブナイト「ダーティ・プリティ・シングス」の準備をしていた。ドハーティは、プライオリーを2回目に抜け出した日に、クラブナイトのオープニング・パーティーへ顔を出した。バンドメンバーに薬物治療のためタイのワット・タムクラボークへリハビリに行く決意を語った。この晩、楽器を周りから借りながら短いセットのギグを行った。そして、これがリバティーンズ全員揃っての最後のパフォーマンスとなった。 リハビリは再び失敗に終わり、ドハーティは寺院を3日間で去り、ドラッグを求めてバンコクへ向かった。契約上、これ以上ギグをキャンセルするわけにはいかないバンドは、再びロッソマンドを代役に迎え活動を再開。6月17日、ドハーティがイングランドへ帰国したその日に、刃物の不法所持で逮捕される。9月1日、ドハーティはロンドンの裁判所に出廷し、無実を主張。4か月の実刑になる可能性があったが、執行猶予12か月になり実刑を免れた。バラーは、ドハーティをすぐにはバンドへ戻さなかったが、「ドハーティがドラッグ問題を解決すれば、すぐにでもバンドへの復帰を歓迎する」という声明文を出す。しかし、ドハーティは新しく始めたベイビーシャンブルズとしてツアーを敢行、成功し、バンドとの和解の可能性を遠ざけた。 2004年7月、フジ・ロック・フェスティバル出演のために、薬物問題が解決しないドハーティ抜きで日本へ向かった。8月、サマーソニックに飛び入り出演。コメディ・ステージでのライブであったが多くの観客を集めた。 2ndアルバムからの1stシングル「キャント・スタンド・ミー・ナウ」をリリースし、全英2位を記録。末に満を持して2ndアルバム『リバティーンズ革命』をリリースし、全英1位を記録。11月、ラストシングル「ホワット・ビケイム・オブ・ザ・ライクリー・ラッズ」をリリースし、全英9位を記録。バンドは最後の日本公演を行い、全国7か所を周った。 12月17日、ドハーティ不在のままパリで最後のギグを行った。無期限活動停止(事実上の解散)を宣言し、活動にピリオドを打つ。 2005年2月、NMEアワーズで2年連続でベスト・ブリティッシュ・バンドに選ばれた。授賞式でバラーは「ピートに会えなかったのは残念。キスして仲直りするはずだったのに」と、コメント。 その後、ドハーティはベイビーシャンブルズ、バラーとパウエルはダーティ・プリティ・シングス、ハッサールはイエティでそれぞれ活動している。
※この「『リバティーンズ革命』〜活動停止」の解説は、「ザ・リバティーンズ」の解説の一部です。
「『リバティーンズ革命』〜活動停止」を含む「ザ・リバティーンズ」の記事については、「ザ・リバティーンズ」の概要を参照ください。
- 『リバティーンズ革命』〜活動停止のページへのリンク