『リバティーンズ宣言』
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「ザ・リバティーンズ」の記事における「『リバティーンズ宣言』」の解説
ラインナップが固まったバンドは、より多くのギグをし始め、ザ・ストロークスとザ・ヴァインズ、スーパーグラスのオープニングアクトを務めた。ミュージックプレス中へ名前が広がり、NMEは特にリバティーンズへの関心を持った。 2002年、両A面シングル「ホワット・ア・ウェイスター/アイ・ゲット・ アロング」をリリースしてデビューを果たす。プロデューサーは元スウェードのバーナード・バトラー。シングル発売日と同日、エリザベス2世女王即位50周年記念の祝典が開催されており、バッキンガム宮殿内ではロック・スター参加のコンサートが行なわれ、大々的にテレビ中継されていた。彼等はこれに対抗し、宮殿の道挟んだ向かい側でギグを決行。さらにこのシングルをヴァージン・メガストアで万引きする(その模様は後にシングルとなる「ドント・ルック・バック・イントゥ・ザ・サン」のPV中に挿入されている)。こうしてバンドは反体制派のヒーローとしての立場を確立した。シングルは放送禁止処分となったが、全英37位を記録。 元ザ・クラッシュのミック・ジョーンズをプロデューサーに迎え、1stアルバムのレコーディングを行った。レコーディング中もバンドは可能な限り多くのギグを行なっていた(セックス・ピストルズ、モリッシーのオープニングアクトを含め、2002年だけで100回以上)。 2002年8月、サマーソニックに出演し、初めて日本でライブを行った。ライブはたったの20分程度だったが、ベストアクトの1つに挙げられた。ドハーティは、「日本にいた時はアルカディアにいるようだった」とコメント。 セカンドシングル「アップ・ザ・ブラケット」を9月30日にリリースし、全英29位を記録。続いて10月21日に、1stアルバム『リバティーンズ宣言』をリリース。全英で最高35位どまりだったが世界中の音楽誌から高い評価を得た。NMEアワーズで「ベスト・ニュー・バンド」に選ばれた。バラーがアルビオン・ルームズから独立していく。 2003年4月、日本ツアーを敢行した。約2週間の滞在期間の中で、10回のギグを行うという過密なスケジュールのせいもあってか、札幌公演ではドハーティが2曲目で機材を全て破壊する事件を起こす。ギター1本とツイン・ヴォーカルで札幌の公演を終えた。
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