『フロイス日本史』戸次川の戦いの記述とは? わかりやすく解説

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『フロイス日本史』戸次川の戦いの記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 06:08 UTC 版)

戸次川の戦い」の記事における「『フロイス日本史』戸次川の戦いの記述」の解説

宣教師ルイス・フロイスキリシタン人物対し過大かつ甘い評価をし、対してキリシタン人物対し過剰に悪意持って記述していることに留意すること。 (豊後国主の)嫡子は、薩摩軍が攻めてきた時に身を守り得るために、他の二名主将仙石秀久長宗我部元親とともにウエノハル(上原)と称するある場所に一城を築くことに決した。 だが彼らは心して真面目に築城作業従事しなかった。彼らの不用意甚だしいもので、饗宴淫猥遊びとか不正行為にうつつを抜かしていたので、その城は笑止沙汰であった。 したがって薩摩軍が来週した時に彼らが)助かることなど思いもよらないことであった。 ところで国主フランシスコ大友宗麟)の息子パンタリアン(田原)親盛(大友宗麟三男田原親賢養子。)は、司祭に対して、もし府内何事かが起こった場合には、司祭家財携えて城(妙見嶽城)に身を寄せるようにと伝えていた。 薩摩軍勢惰眠むさぼることなく攻撃力強めながら、漸次豊後進入して領地奪っていった。 豊後指揮官たちは、常軌を逸した振る舞いによってますます油断度合い深めていた。 本年すなわち1587年1月16日西暦)に、薩摩軍勢府内から三里離れたところにあるトシミツ利光宗魚)と称するキリシタン貴人の城を襲った城主府内からの援助頼り力の限り善戦した。だが敵は攻撃の手緩めず、ついに武力によって城内進入し、その城主ならびに多数兵士殺害した府内にいる味方の勢は、利光の城が占拠されているかどうか確かなことを知らないまま、赴いて囲みを解くべきかどうか評定続けていた。結局、彼らは出動することに決め栄えある殉教者聖フィビアンと聖セバスティアン祝日(1月20日)に府内出発した府内からは、仙石がその兵士率い土佐国長宗我部(元親)とその長男(信親)がその兵士伴い、さらにパンタリアン(田原親盛)も兵を率い、その他豊後特定の殿たち出発した清田高田人々に対して出動するよう命令出された。 薩摩勢は、それより先(豊後勢の動静を)知らされていたらしく、余裕をもって策を練り準備整え一部少数兵士だけを表に出して残余軍勢巧妙に隠匿していた。 豊後勢は大きく流れ速い高田の川(戸次川)に到着し対岸現れ薩摩勢が少数であるのを見ると、躊躇することなく川を渡った。そして豊後勢は戦端開始した時には当初自分たちが優勢勝っているように思えた。 だがこれは薩摩勢が相手全員をして渡河させるためにとった戦略であった渡河し終えると、それまで巧みに隠れていた兵士たち一挙に躍り出て驚くべき迅速さ威力をもって猛攻したので、土佐鉄砲隊味方から全面的に期待かけられいながら鉄砲発射する時間も場所もないほどであった。というのは、薩摩軍は太刀ふりかざしをもって猛烈な勢いで来襲し、鉄砲など目にもくれなかったからである。 こうして味方軍勢はいとも容易に撃退され敗走させられて、携えていた鉄砲武器はすべて放棄し我先に逃走して行った豊後国の人たちは、河川流れについて心得あったか助かったが、仙石長宗我部哀れな兵士たち他国の者であったから、浅瀬知らず溺死余儀なくされた。 こうしてその合戦破滅において、二千三百名以上の兵士戦死した証言されている。彼らの中には土佐国主の嗣子(信親)や、かつて阿波領主であった十河殿、その他大勢貴人要人含まれていた。 薩摩勢は、その日午後に府内から四分の一里の地点にまで到達し、その途中にあったものをことごとく焼滅破壊した土佐の国長宗我部(元親)は全ての馬を放置したまま、数名部下一緒に船で脱出し家財途中で放棄した讃岐の国主で、もう一人主将である仙石称する人物日出から乗船しようとした。彼は関白から、豊後勢を敵から救助するために遣わされていたにもかかわらず悪事働き豊後人々侮辱し暴政行なったために、深く憎悪されており、陸にいる人たちが彼を殺す危険が生じた仙石殿は片足負傷したが、20とともに脱出し家財放棄して妙見にたどり着いた

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