妙見嶽城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 05:18 UTC 版)
妙見嶽城(みょうけんだけじょう)は、大分県宇佐市院内町香下(豊前国宇佐郡)の妙見岳山頂にあった日本の城。
- ^ 「方分」とは大友氏の行政機構の一つで、その地方における内政全般を管轄する役職のことである。他に有名なところでは、筑前国方分であった立花道雪が知られる。
- ^ ただし豊前国内でも多くの国人は島津方に寝返っており、宇佐郡内でも最後まで大友方として行動したのは妙見嶽城にもっとも近い領地をもつ佐田氏くらいである。また、すでに豊臣秀吉による九州征伐が始まっており、妙見嶽城以北の豊前諸城はすでに豊臣勢によって制圧され、先駆けとして黒田如水が宇佐郡時枝城に入っていた。
- ^ この時点で大友方に残っていた拠点は大友宗麟の籠もる臼杵城、志賀親次がゲリラ戦を展開していた岡城、同様に佐伯惟定がゲリラ戦を展開していた栂牟礼城、玖珠郡衆が抵抗を続けていた角牟礼城くらいであった。
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