『フレデリック・ヘンドリックの凱旋』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 07:42 UTC 版)
「ヤーコブ・ヨルダーンス」の記事における「『フレデリック・ヘンドリックの凱旋』」の解説
『フレデリック・ヘンドリック公の凱旋』は1651年ごろに描かれた作品で、オランダ総督だったオラニエ公フレデリック・ヘンドリックとその身内を取り囲む多数の集団肖像が描かれている。フレデリック自身は1647年に死去しているが、公妃アマーリエ・フォン・ゾルムス=ブラウンフェルスはフレデリックの思い出を偲ぶためにこの作品を含む一連の絵画を描かせた。故人の記録を絵画として残すことは当時の慣行であり、これらフレデリックを描いた一連の絵画も生前の優れた業績を称えることを意図していた。個々の業績を文章ではなく分かりやすい意匠と肖像であらわしており、フレデリックの勇敢さと高潔さをさまざまな寓意を用いて表現している作品群である。フレデリックの死後、郊外にあった「森の家」を意味するハウステンボス宮殿に隠棲したアマーリアのためにハウステンボス宮殿に所蔵された。『フレデリック・ヘンドリック公の凱旋』はオラニエの間 (Oranjezaal) に飾られ、壁面下部のほとんどを占めるほどの大きなこの作品はオラニエの間にある絵画群のなかでも主要な作品となっていた。ヨルダーンスはルーベンス、ヴァン・ダイクとともにフランドル絵画の三大巨匠のひとりとして非常に高い評価を得ていたため、この栄誉ある作品の制作を依頼されたのである。 『フレデリック・ヘンドリック公の凱旋』に描かれているフレデリックは、神の化身のように平和の守護者として勝利の戦車に座し、オリーブの枝と様々な宝物でその繁栄と成功が表現されている。画面両横には東西インド諸島の文物を運び込む男たちが配され、公国の豊かな繁栄と同じく軍事的勝利においてもフレデリックが全責任を負っているかのように描かれている。『フレデリック・ヘンドリック公の凱旋』は非常に複雑な構成を持つ作品で、現代の研究者たちの間でもこの作品にどのような意味がこめられているかが議論されているが、すべてを解読することは非常に困難となっている。ヨルダーンスがまとめあげた『フレデリック・ヘンドリック公の凱旋』の主題を表面的に把握することは難しくないかもしれないが、この作品には何かを象徴する人物像などで埋め尽くされている。ヨルダーンスが描いたすべての意味を解釈するためには、描かれた当時のあらゆる絵画における象徴性、寓意性を理解する知識が必要とされるのである。
※この「『フレデリック・ヘンドリックの凱旋』」の解説は、「ヤーコブ・ヨルダーンス」の解説の一部です。
「『フレデリック・ヘンドリックの凱旋』」を含む「ヤーコブ・ヨルダーンス」の記事については、「ヤーコブ・ヨルダーンス」の概要を参照ください。
- 『フレデリック・ヘンドリックの凱旋』のページへのリンク