「朝鮮」の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 14:43 UTC 版)
朝鮮の名は、司馬遷の『史記』の箕子のくだりに見られ紀元前からあったとされるが、李氏朝鮮時代に広まった。その由来について、南北朝時代に編纂された史記の注釈書『史記集解』には張晏(中国語版)の説で「朝鮮には湿水、洌水、汕水が有り、3つの川は洌水として合わさる。恐らくここから楽浪は朝鮮と名付けたのだろう」とある。唐代の史記注釈書『史記索隠』では「朝鮮とは潮汕の音写である」と記されており、史記の時代から唐代までの中国では、川に因んだ地名と見做されていた。朝鮮王朝の官選地理書『新増東国輿地勝覧』には「朝日が鮮明なるところ」とあり、李瀷は「朝は東方、鮮は鮮卑族の意」と解釈した。 13世紀に成立した朝鮮の史書『三国遺事』には、伝説的な人物である檀君が国を建てる際に「朝鮮」と号したという話があるが、三韓時代の百済、新羅、高句麗、日本の史書、中国の史書にはこのような記載はなく、後漢時代にはこの伝説は生まれていなかったと見られている。 朝鮮の異称や雅号に「三千里錦繍江山」、「槿域」、「青丘」、「鶏林」、「韓」、「海東」などがある。 司馬遷の『史記』は、衛氏朝鮮を指して「朝鮮」と記述しており、「朝鮮」とは朝陽の鮮やかなるところ、つまり東方の地域という意味ではないかともいわれ、ヨーロッパ人が東方中東地域を「オリエント(日が昇る方)」と呼んだことと類似しているが、中国人が「朝鮮」と一方的に呼んだのであり、朝鮮人が自らの地域を当時、そう呼んだのではない。『史記』は、紀元前1世紀初頭に書かれたが、中国ではこの頃、「朝鮮」という呼び方が既にあったことを示しており、その呼び方がいつはじまったのかは不明であるが、事実であるのは「朝鮮」という呼称は中国人がつくったものであるということである。 一方、朝鮮の名は、中国から「朝貢鮮少」の地(中国皇帝への貢物が少ない国)と蔑まれたため、すなわち「(中国に対する)『朝(貢)』が『鮮(すくない)』という一種の蔑称」という指摘がある。意味として、論語の「巧言令色鮮仁」の鮮(少なし)の意味から来ているが、朝鮮の鮮の発音が「鮮やかである」の意である第一声ではなく、「少ない」の意である第三声であることなどが理由であり、高木桂蔵は「中国人からみれば依然として朝鮮半島は『まごうことなき藩属国』なのです。朝鮮という呼称も侮辱的なのものです。中国皇帝に対して朝貢し、朝鮮国王を授かったとき、『貢ぎ物が少なし』とつけられた、『朝(みつぎもの)鮮(すくなし)』なのです。これをいまも信じて変えないのも面白いことです」と述べている。高山正之は「中国は昔、大国だった。ただ嫌な癖があった。やたら周りを見下して、例えばチベットは吐蕃、北方の民族は匈奴と名づけて公文書、つまり正史に書いている。よその国の名を勝手に決める尊大さも問題だが、それに『吐』とか『奴』とかひどい字を当てる。…それで朝鮮は『朝』に『鮮やか』。いい国名が与えられたのかと思ったら、渡部昇一氏が大阪での講演で『あれは朝貢(朝)が少ないという意味』で、鮮は『巧言令色鮮(すくな)し仁』の鮮と話された。朝貢国は中国皇帝に拝謁するさいに貢物をもっていく。皇帝はそれに倍するお返しを下賜する習わしだが、『朝鮮』は貢物が少ないくせにお返しだけはたっぷり持って帰る、そういう気持ちを込めた命名だというのだ」と述べている。
※この「「朝鮮」の由来」の解説は、「朝鮮」の解説の一部です。
「「朝鮮」の由来」を含む「朝鮮」の記事については、「朝鮮」の概要を参照ください。
- 「朝鮮」の由来のページへのリンク