「学校令」以前の高等教育機関
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「旧制高等教育機関」の記事における「「学校令」以前の高等教育機関」の解説
ウィキソースに学制二編追加頒布の原文があります。 「学校令」制定以前に明治期日本の学校制度を規定していた学制(1872年)・教育令(1879年・1880年・1885年)である。前者においては、全国を8(のち7)の「大学区」に区分し、それぞれに「高尚ノ諸学ヲ教ル、専門科ノ学校」と定義された「大学」を設置することが規定されていた。当時東京には幕府の教学機関である昌平坂学問所・開成所・医学所を統合した大学校(のち大学と改称し大学本校・南校・東校が分立)、京都には京都学習院の流れをくむ大学校代が存在していたが、大学本校・大学校代は国学あるいは漢学・儒学が中心であり、洋学系の大学南校(洋学校)・大学東校(医学校)のうち高等教育の程度に達しているのは後者のみであったため、学制における「大学」設置構想は実現にほど遠かった。このため1873年に「学制二編追加頒布」が出され、「大学」とは異なる、外国人教師による外国語の専門教育(基本的に一科目)を行う「専門学校」という形態の高等教育機関(専門学校令に準拠する旧制専門学校とは異なる)が制度化され、続く教育令に継承された。この「専門学校」は近い将来設立されるはずの「大学」のための、教員養成の役割を担うこととなった。以下、「専門学校」程度とされた学校の種別について述べる。 法学校個別の学校としては、司法省法学校・東京法学校・専修学校・明治法律学校・東京専門学校・英吉利法律学校・関西法律学校・日本法律学校など。 医学校個別の学校としては東京医学校・長崎医学校・秋田医学校・済生館・済生学舎・慶應義塾医学所など。 理学校 諸芸学校 鉱山学校 工業学校(のち「職工学校」)個別の学校としては工部大学校・東京職工学校など。 農業学校個別の学校としては札幌農学校・駒場農学校・東京農林学校など。 商業学校個別の学校としては東京商業学校・三菱商業学校など。 獣医学校 外国語学校個別の学校としては、東京開成学校(1873年〜1877年)・東京外国語学校(旧外語/1873年〜1886年)など。 他には、大阪専門学校(旧制三高の前身 / 1879年〜1880年)・石川県専門学校(旧制四高の前身 / 1881年〜1887年)など、のちの旧制高等学校の前身となった諸学校。 1877年になって最初の「大学」として(旧)東京大学が設立されるが、当初は東京開成学校と東京医学校の連合体であって統一性に欠け、また実質的には「外国語学校」程度の「専門学校」でしかなかった。しかし1881年の機構改革により両校が制度的に統合され、またこの頃から外国人教師の比率も低下してきたことから、東京大学は次第に総合高等教育機関たる「大学」としての実質を備えるようになり、1886年の帝国大学令準拠による(東京)帝国大学への移行を果たすことになった。しかしこの前後から司法省法学校・工部大学校・東京農林学校など有力な官立「専門学校」は次第に衰退して(東京)帝国大学に統合される途をたどり、帝国大学のみが高等教育の頂点としての地位を独占するようになった。にもかかわらず、帝国大学とその予科である高等学校(1894年以降)を主軸とする高等教育体系からはみ出した官・公・私立の諸「専門学校」はその後も増加し続け、これらの学校の多くは1903年の専門学校令によって、「学校令」の下での高等教育機関として公的認可を得ることとなった。
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