「大和」をめぐってとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 「大和」をめぐっての意味・解説 

「大和」をめぐって

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 13:49 UTC 版)

ヤマト王権」の記事における「「大和」をめぐって」の解説

大和」および「倭」も参照大和ヤマト)」をめぐっては、8世紀前半完成『古事記』『日本書紀』や、その他の7世紀以前文献史料金石文木簡などでは、「大和」の漢字表記はなされておらず、倭(ヤマト)として表記されている。三世紀には邪馬台国記述魏志倭人伝登場するその後701年大宝律令施行により、国名郡・里〈後の郷〉名も)は二文字とすることになって大倭」となり、橘諸兄政権開始間もなく天平9年737年12月丙寅27日)に、恭仁京遷都先立って大養徳となったが(地名のみならずウジ名も)、藤原仲麻呂権勢下の天平19年747年3月辛卯16日前年恭仁京全廃棄〈9月大極殿山背国分寺施入〉)に「大倭」に戻り、そして天平宝字元年757年)(正月改元前〉に諸兄死去)の後半頃に、「大和」へと変化していく。同年施行(仲麻呂提案による)された養老令から、広く大和表記なされるようになったことから、7世紀以前政治勢力を指す言葉として「大和」を使用することは適切ではないという見解がある。ただし、武光誠のように3世紀末から「大和」を使用する研究者もいる。 「大和ヤマト)」はまた、 国号日本(倭)」の訓読(すなわち、古代日本国全体令制国としての大和」(上述奈良盆地東南部三輪山一帯(すなわち令制大和国のうちの磯城郡十市郡倭国造) の広狭三様の意味をもっており、最も狭い3.のヤマトこそ、出現古墳集中する地域であり、王権中枢存在した地と考えられるころから、むしろ、令制大和国(2.)をただちに連想する大和表記よりも、3.を含意することが明白なヤマト」の方がより適切ではないか考えられるようになった白石太一郎はさらに、奈良盆地京都盆地から大阪平野にかけて、北の淀川水系と南の大和川水系では古墳あり方大きく相違していることに着目し、「ヤマト」はむしろ大和川水系地域、すなわち後代大和河内和泉ふくむ)を合わせた地域である、としている。すなわち、白石によれば1.~3.に加えて、4.大和川水系大和河内)という意味も包括的に扱えるのでカタカナ表記の「ヤマト」を用いということである。 いっぽう関和彦は、「大和表記8世紀からであり、それ以前は「倭」「大倭」と表記されていたので、4、5世紀政権表現するのは倭王大倭王権が適切であるが、両者表記混乱を防ぐため「ヤマト表記が妥当だとしている。一方上述の武光のように「大和表記使用する研究者もいる。 武光によれば古代人三輪山の麓一帯を「大和(やまと)」と呼び、これは奈良盆地の「飛鳥」や「斑鳩」といったほかの地域区別され呼称で、今日のように奈良県全体を「大和」と呼ぶ用語法7世紀ならない出現しなかったとする纒向遺跡「大和朝廷」発祥の地考える武光は、纒向一帯を「古代都市大和』」と呼んでいる。

※この「「大和」をめぐって」の解説は、「ヤマト王権」の解説の一部です。
「「大和」をめぐって」を含む「ヤマト王権」の記事については、「ヤマト王権」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「「大和」をめぐって」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「「大和」をめぐって」の関連用語

「大和」をめぐってのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



「大和」をめぐってのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのヤマト王権 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS