「大和朝廷」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 13:49 UTC 版)
大和朝廷(やまとちょうてい)という用語は、次の3つの意味を持つ。 律令国家成立以前に奈良盆地を本拠とした有力な政治勢力およびその政治組織。 大和時代(古墳時代)の政府・政権。「ヤマト王権」。 飛鳥時代または古墳時代後半の天子(天皇)を中心とする官僚制をともなった中央集権的な政府・政権。 この用語は、戦前においては1.の意味で用いられてきたが、戦後は単に「大和時代または古墳時代の政権」(2.)の意味で用いられるようになった。しかし、「朝廷」の語の検討や、古墳とくに前方後円墳の考古学的研究の進展により、近年では、3.のような限定的な意味で用いられることが増えている。 現在、1.の意味で「大和朝廷」の語を用いる研究者や著述家には武光誠や高森明勅などがおり、武光は『古事記・日本書紀を知る事典』(1999)のなかで、「大和朝廷の起こり」として神武東征と長髄彦の説話を掲げている。 なお、中国の史料も考慮に入れた総合的な古代史研究、考古資料を基礎においた考古学的研究における話題において「大和朝廷」を用いる場合、「ヤマト(大和)王権」などの諸語と「大和朝廷」の語を、編年上使い分ける場合もある。たとえば、 安康天皇以前を「ヤマト王権」、5世紀後半の雄略天皇以後を「ヤマト朝廷」 - 平野邦雄 宣化天皇以前を「倭王権」または「大和王権」、6世紀中葉の欽明天皇以後を「大和朝廷」 - 鬼頭清明 など。
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